「町村敬貴」の版間の差分

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=== ウィスコンシン州立農科大学時代 ===
* ウィスコンシン州 州立農科大学に学ぶ
* アメリカへ渡って4年目、敬貴は札幌農学校出身ということもあり、英語さえわかればアメリカの大学へ入学できうるということになり、ウィスコンシン州の州立農科大学酪農科に入学した。大学のある州都[[マディソン (ウィスコンシン州)|マディソン]]は当時人口2万程度、酪農の中心地であっただけに、大学も試験研究所も一流中の一流の水準を持っていた<ref>『町村敬貴伝』86頁</ref>。
* 敬貴は後年ラスト牧場における回想を次のように語っている。
* 「私が初めて世話になった家庭(注:ラスト牧場のこと)でも、いろいろと私のために図ってくれまして、お前も折角来たんだから、やはり大学だけはやらなければうまくないだろう、夏はおれのところで働けばいいから、秋から春までは大学に行って勉強して来い、といいます。向こうに丁度大学がありましたから、三年間だけは夏働いて、秋冬春を大学で過ごしまして、もうその時には、どうやら言葉が自由になりましたが、みんなと一緒に学んで得た利益は多いと、私は思っております。それはみな、自分がその家に非常に尽くしたものですから、学費を出してくれたのです。学校を出ましてから後も、ラスト牧場に帰りまして、また相当長い期間働きましたが、常に北海道へ帰ろうということだけは、自分の念頭から離れなかった。」<ref>『町村敬貴伝』90-91頁</ref>。