「ラス・カチョーラス・オリエンタレス」の版間の差分

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[[1994年]][[11月20日]]に北斗は引退し、以降は何度か解消と復活を繰り返すものの三田と下田の2人で活動して行く事になる。[[1995年]]に北斗が復帰した際には猛武闘賊をいったん解消するが、1997年3月に復活。自分のリングコスチュームと同色に塗られたパイプ椅子(下田はピンク、三田は黄色)を持って入場し、試合中に巧みに使い回すなど、凶器を使うことも厭わない徹底したヒール路線へと移行する。1997年9月に[[全日本女子プロレス]]を離脱し[[フリーランス]]になると、様々な団体のリングに上がり大人気を博した。
 
[[2003年]]初めに再びユニットを解消した。同年9月の下田の引退記念興行では、下田が対戦相手の[[新崎人生]]に敗れそうになったときに、三田がパイプ椅子を持参して救出に現れた。以降は別々の道を歩んでいた(この間、[[2005年]]に下田が復帰している)が、[[2008年]]に5年ぶりに正式に復活させた。下田はメキシコを主戦場に移していたが、[[レボルシオン・アマンドラ]]([[木村響子]]&[[江本敦子]])が三田に対して要求したのがきっかけとなり、三田を師と仰ぐ[[真琴]]の後押しもあった。復活後は三田が所属していた[[NEO女子プロレス]]でアマンドラとの抗争を展開し、最終決戦となる金網デスマッチで勝利。2年連続[[RINGSTARS]]「ベストタッグバウト賞」を受賞。
 
[[2009年]][[11月1日]]、三田の引退記念試合を最後に解散。