「朝鮮半島の華人」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[古代]]に[[朝鮮半島]]中・西北部は[[楽浪郡]]、[[真番郡]]、[[臨屯郡]]、[[玄菟郡]]の[[植民地]][[漢四郡]]が置かれ、[[漢]]の[[植民地]]だった時期に[[漢族]]が移住して土着化し、東北部は[[高句麗|高句麗人]]、[[渤海人]]、[[女真|女真人]]等[[ツングース]]民族の流入が相次ぎ、また、[[高麗時代]]前時期にかけて、異民族が23万8000人余りも[[帰化]]したが<ref>[http://news.nate.com/view/20070821n11817 初等教科書、高麗の時「23万帰化」言及もしない]『[[京郷新聞]]』2007年8月21日</ref>、[[李氏朝鮮]]時代から日本統治時代にかけて住民の均質化が進んだ。
 
[[朝鮮]]への[[近代]]最初の中国人移民は、[[19世紀]]末に現れた。[[朝鮮半島]]に来た中国人の多くは、専門知識を有さない季節労働者が構成した。華人は、主として、海路で[[ソウル特別市|ソウル]]、並びに海の玄関口である[[仁川広域市|仁川]]に定住した。特に仁川では、1880年代末、朝鮮で最初の中国人街([[チャイナタウン]])が生まれた。