「零式艦上戦闘機の派生型」の版間の差分

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=== 零戦二一型(A6M2b) ===
[[画像:Zero Akagi Dec1941.jpg|thumb|250px|真珠湾に向け赤城を発艦する零戦二一型]]
二一型は一一型を基に[[航空母艦|空母]]への搭載を前提として本格的に量産された型である。一一型同様、採用当時の制式名称は「零式一号艦上戦闘機二型」だった。{{要出典範囲|零戦の翼幅12mは空母のエレベーター寸法を考慮して決められていた}}が、実際に運用してみると不都合が多く(翼端がエレベーターに当たるため斜めに載せなければならないなど)、翼端を50cmずつ折り畳める機能が追加された他、一一型では省略されていた着艦フックや無線帰投方位測定器といった艦上機用装備も追加された(着艦フックや無線帰投方位測定器は一一型の後期生産18機も装備または装備可能になっている)。太平洋戦争の緒戦期に実戦投入され、[[真珠湾攻撃]]にも参加した。その長大な航続距離と卓越した運動性能、20mm機銃2挺の大火力はアメリカ軍に衝撃を与え、当時の日本軍の快進撃と相まって多くの零戦伝説を生み出すこととなった。開戦直前に起きた下川事件の対策として主翼強度を増す設計変更が行われ、採用当初には509.3km/hだった最高速度が533.4km/hにまで向上している。生産数は三菱製が740機、昭和19年春まで生産された中島製([[ライセンス生産]])が2,821機であった。
 
=== 零戦一一型系統の性能諸元 ===