「鎌倉三代記」の版間の差分

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『'''鎌倉三代記'''』(かまくらさんだいき)[[歌舞伎]]および[[文楽]]の演目名。全十段。[[天明]]7年([[17831787年]])5月大坂[[竹本座]]で初演されが、後述するようにこの時は『鎌倉三代記』という外題ではなかった。作者については不明であるが[[近松半二]]と推定されている。現在は七段目の「絹川村閑居の段」のみ上演される。
 
== あらすじ ==
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== 概論 ==
*天明6年に上演された近松半二ほか作の[[浄瑠璃]]、『[[近江源氏先陣館]]』(おうみげんじせんじんやかた)との共通点も多い所から、この浄瑠璃の翌年に上演された同じ作者の『太平頭鍪飾』(たいへいかぶとのかざり)がその前身というのが有力である。この『太平頭鍪飾』は初演当時脚色上問題ありとして、幕府より上演を差し止められてしまった。そこでのちに『鎌倉三代記』と外題を改めて上演するようになり、現在に至っている。
*作品の背景は、[[大坂の陣]]を北条氏と御家人の争いに替えており、[[徳川家康]]を北条時宗、[[千姫]]を時姫、[[真田信繁|真田幸村]]を佐々木高綱、[[木村重成]]を三浦之助、[[後藤基次|後藤又兵衛]]を和田兵衛、[[淀殿|淀君]]を宇治の方、[[豊臣秀頼]]を源頼家にそれぞれ当てはめている。浄瑠璃の言葉にも「名にしおう坂本の総大将と類いなき」で「大坂」をさりげなく織り込んでいるなど、随所に事実がちりばめられている。
*この作品のヒロイン時姫は「[[三姫]]」の一つに数えられる難役で、「赤姫」と呼ばれる華麗な深紅の衣装に気品さと可憐さが求められ、さらに恋人のために深窓の出にもかかわらず手ぬぐいをかぶって米を炊いだり、果てには父を殺す決意をする気の強さも持ち合わせなければならない。近代では[[中村歌右衛門 (5代目)|五代目]]と[[中村歌右衛門 (6代目)|六代目の中村歌右衛門]]が双璧とされた。五代目は「太陽のように輝いていた。」と[[三宅周太郎]]に絶賛されるなど一番の当たり役であった。対する三浦之助は、前髪姿ながらも智将の印象が求められ、[[中村鴈治郎 (初代)|初代中村鴈治郎]]や[[市村羽左衛門 (15代目)|十五代目市村羽左衛門]]などが当たり役としていた。