Difference between revisions of "ラスマインズの戦い"

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'''ラスマインズの戦い''' ([[英語]]:Battle of Rathmines) は、[[三王国戦争]] (アイルランドに限定しては[[アイルランド・カトリック同盟戦争]]) のさなか、[[ダブリン]]郊外の[[ラスマインズ]] ([[:en:Rathmines|Rathmines]]) にて行われた戦い。ダブリンを保持する[[マイケル・ジョーンズ (軍人)|マイケル・ジョーンズ]] ([[:en:Michael Jones (soldier)|Michael Jones]]) 指揮下の[[イングランド議会]]軍([[円頂党]])と、オーモンド公[[ジェームズ・バトラー (初代オーモンド公)|ジェームズ・バトラー]] ([[:en:James Butler, 1st Duke of Ormonde|James Butler, 1st Duke of Ormonde]]) 率いる[[アイルランド・カトリック同盟]]およびイングランドの[[キャヴァリアー|国王派]] ([[:en:Cavalier|Cavalier]]) とがぶつかった。カトリック同盟および国王派軍は総崩れとなり、数日後に到着した[[オリヴァー・クロムウェル]]と[[ニューモデル軍]] ([[:en:New Model Army|New Model Army]]) の上陸は容易なものとなった。彼らは4年をかけて[[クロムウェルのアイルランド侵略|アイルランドの侵略 (征服)]] を完了することになる。
 
==背景==
しかし、オーモンド公はマイケル・ジョーンズが打って出てくるとは思っておらず、戦いに際して兵を引き揚げさせなかった。8月2日、国王派からすれば不幸にも、ジョーンズはまさに不意打ちという具合に5000の兵をもって[[アイリッシュタウン (ダブリン)|アイリッシュタウン]] ([[:en:Irishtown, Dublin|Irishtown, Dublin]]) 側から攻め立て、バゴットラスにいたオーモンド公の軍は這々の体で陣に後退した。
 
すでに遅かったが、オーモンド公とその指揮官たちは何が起きたかを理解し、部隊を小出しに展開して議会軍の進軍を遅らせようとした。このため彼らは戦闘隊形を整えることができた。しかしジョーンズの騎兵隊は、彼らに対して繰り出される部隊の側面をつき、それらもラスマインズの[[タウンランド]] (区画地。[[:en:townland|townland]])を通って南に敗走した。敗走する国王派とカトリック同盟は追い打ちしてきた[[ラウンドヘッド]] ([[:en:Roundhead|Roundhead]]。円頭派) 議会軍に打ち取られ、戦いは総崩れとなった。国王派部隊はインチキン伯[[マーロウ・オブライエン (初代インチキン伯)|マーロウ・オブライエン]] ([[:en:Murrough O'Brien, 1st Earl of Inchiquin|Murrough O'Brien, 1st Earl of Inchiquin]]) の下に集まり、殿として規律のとれた抵抗を行って、戦いは終結した。オーモンド公は失った兵は1000に満たないと主張し、ジョーンズは国王派カトリック同盟あわせて4000を打ち取り、そして2517人を捕虜とし<ref>McKeiver, ''A New History of Cromwell's Irish Campaign'', page 59</ref>、こちらへの被害は軽微であったと主張した。現代の歴史家たちはジョーンズを信じる傾向があるが、なぜならば当時の戦において、もし軍団が敗走してさらに追い打ちされたならば膨大な犠牲者が出て、一方で追い打ちをかけた側は軽微であるということが一般的であったためである。オーモンド公もすべての牽引砲と荷物、補給品を失っている。
 
戦いの余波は、オーモンド公はダブリン周辺から残りの軍を引き揚げ、8月15日のオリヴァー・クロムウェルと熟練兵15000の都市上陸 (これは[[リングセンド]] ([[:en:Ringsend|Ringsend]]) から上陸した) を許すことになる。クロムウェルはこの戦いを、神が自身のアイルランド征服を認めたあかしとしての「驚くべき慈悲」と呼んだ。ラスマインズにおけるジョーンズの勝利抜きにしてはアイルランドでのニューモデル軍が上陸する港を保持しえず、クロムウェルのアイルランド侵略はより困難なものであった。ラスマインズ (とその後) のオーモンド公の無能な指揮ぶりは、アイルランド・カトリック同盟にイングランド国王派との同盟を幻滅させ、オーモンド公は翌年にアイルランド軍の指揮官を追い出されている。
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