「プロジェクト‐ノート:映画」の版間の差分

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: ワイルドキャットさんは、2009年の下半期と2010年の上半期の資料が手に入ったわけですが、これを全て埋めれば、後続の人は2009年の下半期と2010年の上半期を調べる必要が限りなく小さくなります。まさに先人の努力の結晶ですよ。ですが、ここでワイルドキャットさんが、自分の目に付いた物を適当に選んで埋めれば、結局、後に誰かが調べる、あるいは漏らしが無いか精査するため、2009年の下半期と2010年の上半期を調べることになります。ならば、0からやるのと同じことで、ワイルドキャットさんのやったことは良くも悪くも無意味ということです。というか、現状の記事の内容は、ワイルドキャットさんがいくら先人の努力を主張しようが、無意味な物だという意味でもあります。
: 最初の方で言ったように一覧記事ってのは難しいんですよ。特に規模が大きくなればなるほど、それをどうまとめるべきか、そして、'''どう勧めていくべきか'''という観点も必要になるし。初心者は簡単なものだって思うのが常だけれども。まあ、それは、指針や条件を決めることへのウエイトや意味合いであって、それさえ決めておけば、資料と条件の照らし合わせだけでできることだから、裏を返せば初心者でもできるってことなんだけど。だけれども、年鑑の1年分すら、音を上げるなら、やっぱり一覧記事を作るには向いてないと言わざるを得ないです。--[[利用者:EULE|EULE]] 2011年2月28日 (月) 14:38 (UTC)
::EULEさんは、共同作業という言葉を独り歩きさせて、共同作用という言葉から演繹できないことまで当然の帰結のように主張されていますね。確かにウィキペディアは共同作業ですし、EULEさんのおっしゃるように分担を決めて作業させた(作業の義務を課す)方が記事はより早く完成に近づくでしょう。'''しかし、この考え方はウィキペディアの根本精神に反するものです'''。
::なるほど会社の仕事は管理職ないしは中間管理職が個々の従業員に具体的な分担を決めて、仕事させることが多いでしょう。賃金ををもらって行う仕事でなくとも、例えば町内会の清掃作業では、話し合って分担を決め、個々の家庭に作業の義務を課すかもしれません。この2つの共通点は何でしょうか?1つは'''仕事を(それもできる限り期日までに)成し遂げなければならにという必要性'''、もう1つは'''作業する人間が特定されているということ'''です。
::これに対して、ウィキペディアはどうでしょうか?
::仕事を成し遂げなければならないか?違いますね。'''記事が作成されたからといって、必ずそれが立派に完成されなければいけないということでは全くありません'''。ずっとスタブのままの記事も多数ありますが、それで仕方ないというのがウィキペディアですよ。以前から少し感じていましたが、'''EULEさんには「一覧は、一度作成した以上完成させなければならない」という強迫観念に囚われているようです。この強迫観念はウィキペディアの根本精神に反します'''。
::さらに、'''ウィキペディアでは作業する人が不特定多数で、参加も離脱も自由'''です。これも、会社の仕事や町内会の清掃と大きく異なる点です。不特定多数の人が作業するのに、ごく少数の特定の人にだけ分担を決めて義務を課しても公平を欠きます。
::結局ウィキペディアでは、「'''記事は(ルールの範囲内で)編集したい人が編集する。編集するもしないも各参加者の自由で、編集は義務として行うものではない。いつでも誰でも新たに参加でできるし、いつでもやめてよい。'''」のです。分担を決めて効率的に進めようというEULEさんのお考えは、このようなウィキペディアの根本精神に反します。考えを改めて下さるようお願いします。
::私としても'''、「映画の一覧記事に加筆する場合は、なるだけ2011年版映画年鑑に掲載されている作品を優先して欲しい」というお願いであれば「では当座の間、そうしましょう」と快諾します'''。実際にも、私がリストに追加した作品のほとんどは、当該年鑑に掲載されている作品です。しかし「2011年版映画年鑑に載っている全ての作品をあなたの責任でリストに掲載して欲しい」という要求・お願いは、きっぱりとお断りします。--[[利用者:ワイルドキャット|ワイルドキャット]] 2011年3月2日 (水) 02:44 (UTC)
 
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