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#REDIRECT [[紀元前240年代]]
前10年紀2= {{紀元前/年代|260}} | 前10年紀1= {{紀元前/年代|250}} | 10年紀= {{紀元前/年代|240}} |
次10年紀1= {{紀元前/年代|230}} | 次10年紀2= {{紀元前/年代|220}} |
3年前= {{紀元前/年|249}} | 2年前= {{紀元前/年|248}} | 1年前= {{紀元前/年|247}} |
1年後= {{紀元前/年|245}} | 2年後= {{紀元前/年|244}} | 3年後= {{紀元前/年|243}} |}}
'''紀元前246年'''は、[[ローマ暦]]の年である。当時は、「[[マニウス・オタキリウス・クラッスス]]と[[マルクス・ファビウス・リキヌス]]が[[執政官|共和政ローマ執政官]]に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、[[ローマ建国紀元]]508年)。[[紀年法]]として[[西暦]](キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前246年と表記されるのが一般的となった。
==できごと==
===エジプト===
*エジプトの[[プトレマイオス2世]]が死去し、息子の[[プトレマイオス3世]]が後を継いだ。プトレマイオス2世の死去の頃には、エジプトは[[ナイル川]]の谷、[[キュレネ]]、[[ユダヤ]]、[[シリア]]の南岸、[[キプロス]]、そして[[エーゲ海]]の沿岸、島々の無数の都市にまで及ぶ王国であった。[[マケドニア王国]]出身のプトレマイオス家は、マケドニア人とギリシア人で構成された[[傭兵]]部隊によって、領土における権威を維持していた。
 
===インド===
*[[アショーカ王の柱]]が作られた。
 
===セレウコス朝===
*[[アンティオコス2世]]は、前妻の[[ラオディケ1世]]と息子の[[セレウコス2世]]と再び暮らすため、[[ベレニケ]]の元を離れた。しかしラオディケ1世は彼を毒殺し、息子が王だと宣言した。[[アンティオキア]]の彼女の支持者はベレニケを殺害し、ベレニケの子供はアンティオキア近郊の[[ダフネ]]に逃れた。
*ベレニケの兄弟のプトレマイオス3世は、復讐のため[[シリア]]に侵攻し、[[第3次シリア戦争]]が勃発した。プトレマイオス3世の艦隊は、[[ダーダネルス海峡]]を越えて[[トラキア]]までの範囲で優位に立ち、[[アナトリア]]の湾のいくつかの島も占領した。
*プトレマイオス3世は、シリアやアナトリアでセレウコス2世の軍を破り、すぐにアンティオキアを占領した。しかし、アンドロスの戦いでアンティゴノス2世に敗れ、キクラデス諸島を失った。
*セレウコス2世の母ラオディケ1世は、セレウコス2世の弟の[[アンティオコス・ヒエラクス]]を共同摂政にし、アナトリアの領土を全て与えることで、[[セレウコス朝]]の支配を回復しようとした。アンティオコス・ヒエラクスは即座に独立を宣言し、兄との戦争を始めた。
*[[バクトリア]]王[[ディオドトス1世]]の信頼を確保するため、セレウコス2世は妹の1人をディオドトス1世の妻にした。
 
===共和制ローマ===
*[[シチリア島]]で[[ハミルカル・バルカ]]に破れた後、ローマ軍は制海権を取り戻すために縁故を呼び集めて別の部隊を作った。
*ローマでは、[[プラエトル]]の数が1人から2人に増えた。2人目のプラエトルは司法の残務整理や執政官不在の際には軍隊を指揮できる絶対権を持つ治安判事の設置を任務とした。
 
===中国===
*今日の[[陝西省]]に約100マイルに及ぶ灌漑用[[運河]]が建設されて農業の生産性が飛躍的に向上し、また[[秦朝]]の軍隊の能力も上がった。
 
==誕生==
*[[アルシノエ2世]]:プトレマイオス3世とベレニケ2世の娘でエジプトの女王([[紀元前204年]]没)
 
==死去==
*[[プトレマイオス2世]]:エジプトの王([[紀元前308年]]生)
*[[アンティオコス2世]]:セレウコス朝の王([[紀元前287年]]生)
*[[ベレニケ]]:プトレマイオス2世とアルシノエ1世の娘で、アンティオコス2世の妻
 
[[Category:紀元前246年|*]]
 
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