削除された内容 追加された内容
m →‎受命思想: 脚注化
m →‎受命思想: 若干の訂正
12行目:
== 受命思想 ==
{{出典の明記|section=1|title=自著作(ブログ)からの持込み|date=2011年2月}}
受命思想の成立は[[殷]]から[[周]]への王朝交代と結びつけて考えられている<ref>三田村泰助『生活の世界歴史(2) 黄土を拓いた人びと』河出文庫、河出書房新社、1991年</ref>。『黄土を拓いた人びと』の著者・[[三田村泰助]]によると、殷の王の正統性は帝または上帝と呼ばれる最高神の直系子孫であると称していた点にあった。その血筋ゆえに王は帝の助力を得る資格があるとされ、その手段が占いである。周は殷の支配に服す地方領主に過ぎなかったため、殷を滅ぼして王として天下に号令するには別の正統性が必要とされた。周は天空を自然神、すなわち天として崇拝していた。天の意思は殷の帝と異なり、占いなどでは知ることができず、天命によって示されるとした。天命は民の望みを反映し、徳のある者に下されるという。この天を殷が奉じた帝と同一視し、皇天上帝または[[天帝]]と呼ぶこととした。すなわち、天帝の天命が殷から王位を取り上げて周へ王として統治することを命じたのだと信じたのである。殷王は血統と占いを基礎として正統性を保持したのに対し周王は徳による天命を根拠に王位を奪取したことになる。これら周の政治思想をまとめたものが[[五経]]に代表される儒学の教典である。
 
漢代以降の儒学の受容に伴い、このような「天の思想」が政治や道徳の根拠となってきた。徳のある王が天から命を受けて皇帝となり、徳の無い政治をすれば、天命は別の人間に下り王朝の交替が行われるというわけである。