「松平光則」の版間の差分

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{{武士/官位|従五位下、[[弾正少弼]]、[[丹波国|丹波]]守、[[子爵]]}}
{{武士/藩|[[信濃国|信濃]][[松本藩]]主}}
{{武士/氏族|[[戸田氏|戸田松平家→[[戸田氏]]}}
{{武士/父母|父:[[松平光庸]]、母:側室吉野氏}}
{{武士/兄弟|[[小笠原長国]]、'''松平光則'''、[[内藤政恒]]}}
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{{武士/終了}}
 
'''松平 光則'''(まつだいら みつひさ)は、[[信濃国|信濃]][[松本藩]]の第9代(最後の)[[藩主]]。[[戸田松平家]]14代。
 
文政11年(1828年)、8代藩主・松平光庸の次男として生まれる。[[弘化]]2年([[1845年]])、父・光庸が[[隠居]]したため[[家督]]を相続した。
 
[[慶応]]4年([[1868年]])の[[戊辰戦争]]では藩論が佐幕・勤皇に二分したが、新政府軍の松本到着直前に勤皇に決した。その後、[[北越戦争]]や[[会津戦争]]に参戦。戦功により翌年に[[賞典禄]]3000石を下賜された。同年6月19日[[版籍奉還]]を許可され[[藩知事]]となる。明治4年([[1871年]])、[[廃藩置県]]で免官。[[太政官布告]]により、初代[[松平康長]]以来下賜されてきた源姓[[松平氏]]・[[三つ葉葵]]紋を返上し、戸田氏に復姓した。明治17年([[1884年]])、[[華族令]]により[[子爵]]に叙任。明治25年(1892年)没した。
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{{DEFAULTSORT:まつたいら みつひさ}}
[[Category:戸田松平|戸みつひさ]]
[[Category:松平戸田氏|みつひさ]]
[[Category:江戸の大名]]
[[Category:譜代大名]]