「ハロルド・ピンター」の版間の差分

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米国については、特に[[ニカラグア]]([[イラン・コントラ事件]])、[[チリ]]([[チリ・クーデター]])、[[キューバ]]など、中南米諸国への侵略を繰り返して来たことを強調している。ニカラグアについては、米国に打倒の対象とされた[[サンディニスタ民族解放戦線|サンディニスタ]]政権に味方する立場から、米国と交渉したこともある。
 
[[2002年]]、[[食道癌]]に冒されていることを明らかにし、その後も闘病を続けた。[[2005年]]2月、劇作家から引退し、反戦を訴える政治活動に専念する事を表明した。同年[[ノーベル文学賞]]を受賞したが、[[医者]]に[[ブラジル]]先住民の[[風土病]]である重度の皮膚疾患に感染していると診断され、授賞式に出席できなかった(ちなみに、ピンターはブラジルに一度も行ったことはない)。そのため自宅で記念講演を収録し、[[ストックホルム]]で行われた授賞式では録画テープが上映された。記念講演は、『[[ガーディアン]]』紙に全文掲載されたが、[[英国放送協会|BBC]]には完全無視された。劇評家の[[マイケル・ビリントン]]は、ピンターに「イギリスでは、ノーベル賞授賞講演は衛星放送では同時刻に放映され、『ガーディアン』には講演の全文が掲載されました。しかし、私の知る限り、それはBBCテレビではほとんど採りあげられませんでした。これには驚きましたか」と質問した。ピンターは、「ほとんど採りあげられなかったのではありません。BBCは、講演を徹底的に無視しました。(BBCにとって)そんなことは起こらなかったのです。BBCが講演を無視したのは、政府との共謀によるものだと主張する人がいます。私はそうは思いません。こういう共謀説には、私は賛成しないのです」と答えた。
 
[[2008年]]12月24日、78歳で死去。