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'''神吉 宏充'''(かんき ひろみつ、[[1959年]][[3月1日]] - )は、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]。棋士番号160。[[兵庫県]][[加古川市]]出身。[[内藤國雄]]九段門下。所属事務所は[[昭和プロダクション]]。
 
== 人物・戦歴 ==
いったん社会人として就職後、[[1978年]]に19歳で[[奨励会]]1級に入会するという異色の経歴の持ち主である。年齢規定ぎりぎりの入会であった。なお、[[2005年]]には19歳で[[奨励会]]初段に入会するという、自身と類似した経歴である[[吉田正和]](当時朝日アマ名人、2008年度前期[[三段リーグ]]において四段昇段決定)を弟子に取っている。体重120kgといわれる巨体の持ち主で、ピンクのスーツでTV番組に登場し軽妙なトークでファンを楽しませるなどタレント性があり、普及・広報の面で人気が高い
 
年齢規定ぎりぎりの入会であったにもかかわらず順調に昇段し、1983年に四段昇段に伴いプロ入りを果たす。
「[[探偵!ナイトスクープ]]」など、テレビのバラエティ番組へ出演した経験がある。[[1994年]]4月から9月までは[[TBSテレビ]]系の「[[テレビの王様]]」でレギュラー出演していた。1996年放送のNHK連続テレビ小説「[[ふたりっ子]]」の中で、主人公に弟子入りを頼まれる棋士を本人役で演じている。その際、神吉は[[トランプ]]を普段から携帯しているためか、スタッフにそれを手で扱いながら登場するよう指示された。本人はその後、[[将棋世界]]のエッセイの中でこのことに触れ「そんなことしながら歩く棋士おらんわ!」と書いていた。
 
四段昇段後は主に早指し棋戦でその実力を発揮。特にテレビで放映される[[NHK杯テレビ将棋トーナメント|NHK杯]]では予選を何度も通過し、ブラウン管にその勇姿を現すと同時に、磊落な発言<ref>磊落ではあるが、礼儀はわきまえていて、他の棋士からは好感を得られている。</ref>やパフォーマンスでお茶の間を沸かしている。
[[日本放送協会|NHK]] [[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]]で毎年1回放送される「[[大逆転将棋]]」という特集番組では司会と構成を務めている。また、同チャンネルの「囲碁将棋ウィークリー」(後の「[[囲碁・将棋ジャーナル]]」)の初代キャスターでもある。
 
1994年度の[[NHK杯テレビ将棋トーナメント|NHK杯]][[加藤一二三]]を破る。局後の感想戦では謙虚な態度で話していたが、偉大なる先輩に勝てたという感動がにじみ出ていた。その際、加藤九段に今日は強かったと言われ、喜んでいる姿を見て解説を担当していた師匠でもある内藤九段に、対戦相手に強いといわれて喜ぶとアマチュアみたいだと指摘されるが、今日はそれでもいいですと言い謙虚に喜んでいた。
 
1999年度のNHK杯では[[森内俊之]]を破る。この対局の序盤では、神吉は定番の振り飛車穴熊にするが、それに対して森内は自分の飛車も振って、意表の[[相振り飛車]]戦に持ち込んだ。森内が飛車を振った瞬間、「それはないやろ、森内君」という神吉のささやくようなぼやきが、テレビの音声に入っていた。
 
その一方で、[[持ち時間]]が長く、棋力だけではなく体力も重視される[[順位戦]]には滅法弱く、プロ入りから17年間(第43期・1984年度~第59期・2000年度)C級2組に参加したものの、最終局まで昇級争いに残れず、最高成績は7勝3敗(第43期・第49期・第55期<ref>前期に喫した累積2個目の降級点により、成績次第では順位戦参加資格の喪失([[フリークラス]]への降級)が危惧される状況で迎えたが、好成績により降級点の累積を1個抹消できた。</ref>)。第59期で累積3個目の降級点を喫し、規定により[[フリークラス]]に降級し、42歳の若さで順位戦参加資格を失ってしまった。
 
[[2005年]]8月、[[瀬川晶司]]のプロ編入試験第2局の試験官(対戦相手)を務める。ここでも神吉は、対局前に「振り飛車穴熊戦法」と戦法予告をし、全身ピンクのスーツ姿で対局に臨み、対局前に瀬川に対して、「(目が)チカチカするやろ?」と言っておどけてみせる。また、対局中に(対局当事者であるにも関わらず)大盤解説場に登場して情勢についてコメントするなどのパフォーマンスを見せた。結果は瀬川の勝利。対局終了後、「プロ棋士になれる」と瀬川を励まし、勇気づけた。
 
第18期(2009年度~2010年度)[[銀河戦]]では、ブロック戦で若手ホープの[[金井恒太]]を撃破するなどブロック最高の4連勝で決勝トーナメント進出。決勝1回戦で[[丸山忠久]]に敗れるも、健闘した。
磊落な発言で知られるが、礼儀はわきまえていて、他の棋士からの人気が高い。
 
== 普及・広報など盤外での活動 ==
神吉はトーナメントプロとしての活躍もさることながら、身長180cm・体重120kgといわれる巨体に加え、TV番組にピンクのスーツ姿で登場し軽妙なトークでファンを楽しませるなどタレント性があり、普及・広報の面で人気が高い。
* [[日本放送協会|NHK]] [[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]]で毎年1回放送される「[[大逆転将棋]]」という特集番組では司会と構成を務めている。また、同チャンネルの「囲碁将棋ウィークリー」(後の「[[囲碁・将棋ジャーナル]]」)の初代キャスターでもある。
* 同チャンネルの「囲碁将棋ウィークリー」(後の「[[囲碁・将棋ジャーナル]]」)の初代キャスターでもある。
* 「[[探偵!ナイトスクープ]]」など、将棋とは関係ないテレビのバラエティ番組にも出演した経験がある。
* [[1994年]]4月から9月までは[[TBSテレビ]]系の「[[テレビの王様]]」でレギュラー出演していた。
「[[探偵!ナイトスクープ]]」など、テレビのバラエティ番組へ出演した経験がある。[[1994年]]4月から9月までは[[TBSテレビ]]系の「[[テレビの王様]]」でレギュラー出演していた。* 1996年放送のNHK連続テレビ小説「[[ふたりっ子]]」の中で、主人公に弟子入りを頼まれる棋士を本人役で演じている。<ref>その際、神吉はスタッフに[[トランプ]]を普段から携帯しているためか、スタッフにそれを手で扱いながら登場するよう指示され、その通りに演じた。本人はその後、[[将棋世界]]のエッセイの中でこのことに触れ'''「そんなことしながら歩く棋士おらんわ!」'''と書いていた。</ref>
* [[2005年]]には19歳で[[奨励会]]初段に入会するという、自身と類似した経歴である[[吉田正和]](当時朝日アマ名人、2008年度前期[[三段リーグ]]において四段昇段決定)を弟子に取っている。
* 現代の代表的な[[双玉詰将棋]]の作家として知られ、新聞への出題及び作品集の発行(後述)も経験した。
 
== 棋風など ==
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* その一方、[[神吉流穴熊]]というオリジナルの居飛車穴熊を開発し、振り飛車退治も得意にする。
* [[先崎学]]によれば、素人相手の駒落ちでは[[羽生善治]]よりも神吉が強いといわれている。その理由は「プロは詰み筋を読むがアマは読まない、だから(詰み筋が読めない)アマの力量に合わせて指せば勝てる」ということである。
* 体力的な問題から[[順位戦]]など[[持ち時間]]の長い[[棋戦_(将棋)|棋戦]]を苦手にしている。
* [[穴熊囲い|居飛車穴熊]]にはめっぽう強く、[[谷川浩司]]でさえも神吉と対局する時は居飛車穴熊にするのを避けるという。
 
== その他エピソード ==
* 1988年3月、[[伊達康夫]]との対局で二手指しをしてしまい、反則負けを喫する。神吉自身によると<ref>司会を務めた、NHK「大逆転将棋2006」にて証言。</ref>、自らの手番で着手後、伊達が長考したため神吉は居眠りをしてしまったが、駒音で目が覚め、それを伊達が着手を終えた音と勘違いして次の手を指してしまったという。
* 独身時代は対局に遅刻することが多かったが、2001年5月5日に15歳年下の女性と結婚してからはその頻度は大幅に下がっている。
 
== 昇段履歴 ==
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==関連項目==
*[[将棋棋士一覧]]
*[[ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣]] - 『[[小学館]] 任天堂公式ガイドブック ファイアーエムブレム百科』の攻略本において、「F・E(ファイアーエムブレム)戦略講座」というコラムを執筆。この当時、神吉の紹介文には「棋界きっての[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]通」と記述されている。<ref>任天堂公式ガイドブック ファイアーエムブレム百科 1990年5月20日発行 小学館(株) ISBN 4-09-104115-9
</ref>
 
==参考文献脚注==
<references/>
任天堂公式ガイドブック ファイアーエムブレム百科 1990年5月20日発行 小学館(株) ISBN 4-09-104115-9
 
== 外部リンク ==