「オイノフュタの戦い」の版間の差分

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そしてアテナイ軍はタナグラを落としてその[[城壁]]を崩し、[[ロクリス]]を屈服させて裕福な者100名を[[人質]]として受け取り、[[フォキス]]を服従させ、[[テッサリア]]へも進んだものの[[ファルサロス]]を屈服させることはできなかったものの、ボイオティアをアテナイの勢力下に置いた<ref>トゥキュディデス, I. 108</ref><ref>ディオドロス, XI. 82-83</ref>。
 
[[ディオドロス]]は「他のそれらの戦い[[マラトンの戦い]]や[[プラタイアの戦い]]は、一部は[[バルバロイ]]に対して戦われ、その他は同盟者の助けを得ていたが、この戦いはアテナイ人のみの手によって戦いを通して得られたものであり、[[ギリシア]]人中最も勇敢な戦士たちによって戦われた」と言い、この戦いでのアテナイ軍の勝利をマラトンの戦いやプラタイアの戦いでの勝利にも劣らぬ偉業だとして賞賛している。しかし、残念なことに戦いの詳細についての記述は残っていない<ref>ibid, XI. 82</ref>。
 
それからアテナイは[[紀元前448年]]に反旗を翻したボイオティア軍にその翌年の[[紀元前447年]]の[[コロネイアの戦い (紀元前447年)|コロネイアの戦い]]で敗れるまでボイオティアを勢力下に置き続けた。