「アルバート・マイアー」の版間の差分

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マイアーは[[フロリダ州]]で個人医院を開業し、その後アメリカ陸軍の軍医補としての任官を求め、[[1854年]][[9月18日]]に入隊すると、[[テキサス州]]ダンカン砦および同州ジェフ・デイビス郡デイビス砦で勤務した<ref name=TX/>。医学以外に当時の主要な興味は、単純な符号と軽い材料を使って長距離で信号を伝える仕組みを編み出すことだった。この符号伝達の仕組みは、「ウィグ・ワグ」信号、あるいは「無線送信術」と呼ばれる一つの信号旗(夜間はランタンか灯油松明)を使う物であり、南北戦争の南北両軍やその後で採用され使われることになった<ref>Brown, pp. 20-21.</ref>。
 
マイアーの信号伝達は[[手旗信号]]と混同されるべきではない。ウィグ・ワグは1つの旗を前後に振って2進数を表すもので、概念的には[[モールス信号]]に似ていた。手旗信号は2本の旗を用い、旗の持ち方で固有の文字を意味させて送るものだった。マイアーにとって残念なことにアメリカ陸軍信号司令部の公式紋章は手旗信号の旗を十字に組み合わせたものとなった。
 
[[1858年]]、陸軍はマイアーの発明に興味を持ち、「信号伝達の原理と計画、戦場における使い方、および軍隊に導入する方法」について調査する委員会を指名した。マイアーは[[ロバート・E・リー]]中佐が委員長を務める委員会に出頭し、その発明を現場でテストすることを承認させた。マイアーは[[ニューヨーク港]]周辺でその年4月に始まった現場テストを遂行した。このテストは成功し、[[アメリカ合衆国陸軍長官]][[ジョン・ブキャナン・フロイド|ジョン・B・フロイド]]が[[アメリカ合衆国議会]]に対して、陸軍がマイアーの発明を採用すること、ならびにマイアーを信号士官長に指名することを推薦した。議会は、上院で[[ミシシッピ州]]選出の[[ジェファーソン・デイヴィス]]上院議員から反対があったものの、マイアーを少佐と信号士官長に指名し、信号司令部を創設することを承認した。マイアーは[[ディネ|ナバホ族]]インディアンに対する作戦でさらに現場テストを行うために[[ニューメキシコ州|ニューメキシコ]]方面軍に派遣された<ref name=Cameron/>。