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古代・中世・近代という区分自体、もともと[[ヨーロッパ]]社会をモデルとする歴史学の発想であるが、[[文明開化]]以降日本の近代歴史学でも同様の区分が考えられた。日本の場合はヨーロッパの[[騎士]]に対応する[[武士]]が統治した封建時代が存在するなど西洋史と類似点が多く、天皇が直接政権を握っていた[[王朝時代]]([[飛鳥時代]]・[[奈良時代]]・[[平安時代]])を古代として、[[鎌倉時代]]以降を中世とした。しかし、[[江戸時代]]は中世と近代のどちらにも当てはまらないため「近世」とされた。ヨーロッパ史においても、近代と[[前近代]]の枠組みの見直しの機運が生まれ、ルネサンスから[[絶対王政]]の時代を近世として、[[市民革命]]期以後を近代と考えることが多くなっている。ただし、この考えを4000年以上の歴史を持つ[[中国の歴史]]に当てはめる際には問題が生じ、中国史における中世・近世の枠組みは必ずしも明確ではない。
 
{{要出典範囲|最近では、[[東洋史]]において[[西洋史]]の概念を当てはめることに対する適切性、さらに西洋史においては中世=暗黒・後退の時代という史観に対する見直しなどが起こっているため、中世という時代の枠組みは歴史学で現在も使われているが、かつての中世暗黒史観を前提とした議論はされなくなっている。|date=2011年3月}}
 
==ヨーロッパ==