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山号 = ([[瑞巌寺]]の仏堂につき山号はなし)|
宗派 = [[臨済宗妙心寺派]]|
本尊 = [[五大明王]]|
本尊 = 五大明王(大聖[[不動明王]]・東方降三世・西方大威徳・南方軍荼利・北方金剛夜叉)|
創建年 = [[大同 (日本)|大同]]2年([[807年]])|
開基 = [[坂上田村麻呂]]|
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[[日本三景]]の1つである景勝地・[[松島]]の景観上重要な建物であり、本州海岸に近い小島に建つ。伝承によれば[[大同 (日本)|大同]]2年([[807年]])、[[坂上田村麻呂]]が奥州遠征の際に、毘沙門堂を建立したのが始まりとされる。
 
その後、[[円仁]](慈覚大師)が延福寺([[瑞巌寺]]の前身)を創建した際に仏堂を建立し、'''大聖[[不動明王]]'''を中央に東方'''[[降三世明王''']]、西方'''[[大威徳明王''']] 南方'''[[軍荼利明王''']]、北方'''[[金剛夜叉明王''']]の'''[[五大明王]]'''を安置したことにより、五大堂と呼ばれるようになった。
 
現在の堂は、[[慶長]]9年([[1604年]])、[[伊達政宗]]が瑞巌寺の再興に先立って再建した。東北地方最古の桃山建築と言われている。