「千春 (プロレスラー)」の版間の差分
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| リングネーム = 千春
| 本名 = 大野 千春<ref name="lg1999">「千春、精一杯の反論」『Lady'sゴング』日本スポーツ出版社、1999年6月10日、pp94-95。</ref><ref name="g2005">『2005ゴングプロレスカラー名鑑』日本スポーツ出版社、2005年、P194</ref>
| ニックネーム =
| 身長 = 160cm<ref name="g2005" /><ref name="lg1999-0">1999年当時の身長は161cm、体重は55kg。「千春、精一杯の反論」『Lady'sゴング』日本スポーツ出版社、1999年6月10日、p95。</ref>
| 体重 = 50kg<ref name="g2005" /><ref name="lg1999-0" />
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1979|4|12}}<ref name="g2005" />
| 死亡日 =
| 出身地 = [[東京都]][[渋谷区]]<ref name="lg1999" /><ref name="g2005" />
| 所属 =
| スポーツ歴 = [[アマチュアレスリング|レスリング]]
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}}
'''千春'''(ちはる、本名:'''大野 千春'''(おおの ちはる)<ref name="lg1999" />、[[1979年]][[4月12日]]<ref name="g2005" /> - )は、[[日本]]の[[リングアナウンサー]]、元女子[[プロレスラー]]<ref name="lg1999" /><ref name="g2005" />。[[東京都]][[渋谷区]]出身<ref name="lg1999" /><ref name="g2005" />。
== 経歴・戦歴 ==
中学卒業後、木口道場に入門し<ref name="lg1999" />[[アマチュアレスリング|レスリング]]や[[コンバットレスリング]]の大会に出場したあと、[[谷津嘉章]]にスカウトされ[[SPWF]]に入門。
[[1997年]]7月13日、SPWFの[[栃木]]・[[小山ゆうえんち]]スケートリンクでの興行において、対[[ミサ岡田]]戦にてデビュー。初の現役女子高校生レスラーとして話題になる(なお、千春より前に、高校を卒業した後、3月中にデビューしたため、まだ高校に籍があったレスラーが存在する)。それからわずか6日後の7月19日に行われた「第2回[[ジュニア・オールスター戦]]」では、[[JWP女子プロレス]]の[[日向あずみ|久住智子(日向あずみ)]]と対戦するが、ドロップキック1発でフラフラになるなど実力差の開きは明白
高校在学時に特典として「彼女が足を通したとされている」ルーズソックス付属の写真集をリリースしたことがある。
その後、SPWFに参戦していた[[NOSAWA|野沢一茂]]の子供を妊娠していたことが判明し、レスラーを休業した(2人はのちに離婚)。
しばらくして[[2001年]]にヤンママレスラーとして、総合格闘技「[[スマックガール]]」のアマチュアマッチに出場。2戦2勝の戦績を残す。そして[[2003年]]8月9日、[[NEO女子プロレス]]の[[後楽園ホール]]大会で5年ぶりにプロレス復帰。以後、フリーとしてNEOにレギュラー参戦。[[2004年]]には[[仲村由佳]]と組んで板橋タッグ王座を獲得<ref name="g2005" />。
[[2005年]]1月29日の対[[田村欣子]]戦で眼窩底骨折の重傷を負う。この負傷が原因で[[2006年]]に現役を引退、6月29日に引退興行を行う。この日のみNEO所属として出場。引退後はNEOのリングアナウンサーとして、2010年末のNEOの活動休止までリングに上がっていた。
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== 入場テーマ曲 ==
* 「愛があれば大丈夫」([[広瀬香美]])
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
{{Martialart-stub}}
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