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'''ジャン・ペラン'''('''Jean Baptiste Perrin'''、[[1870年]][[9月30日]] - [[1942年]][[4月17日]])は[[フランス]]の[[物理学者]]。父の[[フランシス・ペラン]]も物理学者。物質が[[分子]]からできていることを実験的に証明した。1926年、[[ノーベル物理学賞]]を受賞した。
 
[[ノール県]][[リール (フランス)|リール]]に生まれて、[[パリ]]の[[高等師範学校 (フランス)|高等師範学校]]で学んだ。[[パリ大学]]で物理学の講師となり、1910年から1930年まで高等師範学校の教授であるを務めた。1936年[[レオン・ブルーム]]内閣の科学研究担当国務次官になった。[[ドイツ]]のフランス占領中は[[ニューヨーク]]に逃れ、ニューヨークで没した。
 
1890年代は[[陰極線]]の研究を行った。1908年から、[[ブラウン運動]]に関する精密な実験を行い、分子理論を実証した。1913年著書『原子』を出版した。
 
 
{{ノーベル物理学賞受賞者 (1926年-1950年)}}
 
{{DEFAULTSORT:へらん しやん}}
[[Category:フランスの物理学者]]
[[Category:ノーベル物理学賞受賞者]]
[[Category:高等師範学校 (フランス)の教員]]
[[Category:パリ大学の教員]]
[[Category:ノール県出身の人物]]
[[Category:1870年生]]