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1969年に[[ハードロック]]バンド、[[ジェイムス・ギャング]]でデビュー、その後'''バーンストーム'''結成、ソロ活動後、1975年、イーグルスに加入。イーグルス解散後も、ソロ活動を継続している。1994年にイーグルスが再結成後はイーグルスを中心に活躍中。
 
イーグルスという世界的人気のロックバンドのギタリストであるが、イーグルスに加入する前からすでにソロ・ミュージシャンとしてその名は知られていた。1974年のアルバム『ソー・ホワット』には[[グレン・フライ]]、[[ドン・ヘンリー]]、[[ランディ・マイズナー]]が参加しており、イーグルスの代表的アルバム『[[ホテル・カリフォルニア]]』のプロデューサーを務めた[[ビル・シムジク]]をイーグルスと引き合わせたのはウォルシュである(シムジクとウォルシュはジェイムス・ギャング時代から共に仕事をしていた)。ウォルシュ加入後のイーグルスもステージでウォルシュやジェイムス・ギャングの曲を演奏している。また、イーグルス在籍時の1978年にはソロ・アルバム『ロスからの蒼い風』を発表し、このアルバムからカットされたシングル「この人生に賭けて」(全米第12位、アルバムでは8分を超える大作)とともに大ヒットし、ウォルシュのソロキャリアでの最大の成功作である。
 
ウォルシュはコンサートでは非常にアグレッシブに動き回り、時には派手な衣装を身に纏うなどしてパフォーマーとしてもその力量を大いに発揮する。特にイーグルスでは、バンドのフロントマンであるドン・ヘンリーとグレン・フライよりも目立っていた。また、1980年にはアメリカ大統領選に立候補をしようとした(当時33歳。被選挙権下限の35歳を下回るので実際にはできない)。『イーグルス・ライブ』において、[[ティモシー・B・シュミット]]が「~The next presidetpresident of the United States, Mr.Joe Walsh」と紹介しているのを聴くことが出来る。
 
エクストラ級免許を持つ[[アマチュア無線]]家としても知られる([[コールサイン]]はWB6ACU、在留者局のコールサインは7J1AXX)。[[2004年]]10月、イーグルスの日本公演で来日した際、[[東京都]][[豊島区]][[巣鴨]]の[[日本アマチュア無線連盟]]本部を表敬訪問している。