「青木カレン」の版間の差分

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*それらの活動がプロの目に留まり、[[2000年]]、当時できたばかりのレコード会社「[[ウェブクゥ]]」よりメジャーデビューする。その後、3枚のマキシシングルと1枚のアルバムをリリース。ウェブクゥ設立に[[渡哲也]]が関与していたことの縁で、マネージメントを「[[石原プロモーション]]」が行う。
*芸名の「ウラン」は[[元素]]名の[[ウラン]]からとられた。
*[[2002年]]発表のアルバム「Heaven」以降、ウランとしての活動は事実上停止状態になる。その間に[[2003年]]ふとした時に耳にした[[ジャズ]]に傾倒し心奪われ、その日のうちに独力で都内のジャズ分野での活動クラブ開始す調べ、当日のフリーセッションにヴォーカリストとして参加し、その日にスカウトされる。そしてウェブクゥ・石原プロを脱退し、正式に「青木カレン」名義でジャズ分野での活動を開始する。
*2003年、ふとした時に耳にしたジャズに心奪われ、その日のうちに独力で都内のジャズクラブを調べ、当日のフリーセッションにヴォーカリストとして参加し、その日にスカウトされる。
*その後、都内各所のジャズ・クラブでライヴ活動を精力的にこなし、青木カレン名義で2006年1月16日に1st Album「TOKYO Jz TRIPPIN’」をリリース。[[HMV]]や[[タワーレコード]]のジャズ・チャート1位を数週間獲得。また[[スイングジャーナル]]社のジャズ誌、ADLIBの2006年度第26回読者人気投票のBRIGHTEST HOPE部門でも1位を獲得する。
*[http://www.rambling.ne.jp/ Rambling RECORDS]へ移籍。