「黒木香」の版間の差分

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一人称は「わたくし」で、「私思いますに…でございます」という([[山の手言葉]]の)上品な言葉遣い、話し方ではあったが、その内容は言葉の端々に[[放送禁止用語]]を織り交ぜた過激で卑猥なものであった。
 
[[村西とおる]]監督との絶妙のコンビでテレビをはじめ各メディアに進出。『[[朝まで生テレビ!]]』([[テレビ朝日]])に出演した際には、パネラーの[[大島渚]]や[[舛添要一]]、司会の[[田原総一朗]]らと対等に渡り合うなどAV女優の枠を超えた活躍をみせた。黒木のAV出演に対し、自らの男性性に覆いをかけ、ありきたりの常識論父親めいた説教口調で諭そうとする大人たちの矛盾を理論整然と論破していく鋭い舌鋒に視聴者は拍手喝采を送った。
 
当時のインタビュー記事<ref name="crea"/>によれば、村西とは事実上の愛人関係にあった。村西が実質的な経営者だった[[ダイヤモンド映像]]の系列会社・[[ダイヤモンド映像|ビックマン]]の取締役にもなり、村西が[[渋谷]]に出店した高級焼肉店「香貴苑」のママにもなったが<ref>[[本橋信宏]]「村西とおるを奪い合ったAV女優たち」『[[新潮45]]』2006年6月号</ref>、村西と“村西のギャラの不払い”により別れたあと引退。[[1994年]]、逗留先の[[東京]]・[[中野区|中野]]のホテルから飛び降り自殺を図ったが、一命を取りとめた。このあと、病院に入院してリハビリに励んだ。