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=== 曹全碑 ===
曹全碑(そうぜんひ、八分隷)の全名は『郃陽令曹全碑(こうようれいそうぜんひ)』という。建碑は[[中平]]2年(185年)。[[明]]の[[隆慶 (明)|隆慶]]から[[万暦|萬暦]]の間に[[陝西省]]郃陽県の旧城から出土した。碑額は出土の時からないが碑文はほぼ完全に残っており、全20行で初行から19行は各行45字、末行に「中平二年十月丙辰造」の9字で建碑の年月日(185年10月21日)が明記されている。碑陰の文字はやや小さく、建立関係者の名が5列57行で列挙されている。現在は[[西安碑林博物館|西安碑林]]にある。
 
碑は[[曹全]](字は景完)の治績を記した頌徳碑である。曹全は[[敦煌市|敦煌]]の人で、[[光和]]7年(184年)郃陽令となり、[[黄巾の乱]]を収拾した功績により建碑された。数多い漢碑の代表的名品であり、完成された八分の技法を示すものである。他の碑と比較して女性的とする評が多い。石質が堅牢で文字が非常に鮮明であり、出土以後[[拓本]]によって多くの[[書家|書人]]に学ばれている。[[天保]]年間に日本へ伝えられた。