「ベネデット・マルチェッロ」の版間の差分

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ベネデット・マルチェロは、未出版作品を含めて50点ほどしか遺さなかった兄アレッサンドロとは対照的に、作曲家として精力的で、700点近い作品が確認されている。ベネデットのこんにち最もよく知られている作品は、《詩的・音楽的霊感''Estro poetico-armonico'' 》([[1717年]]~[[1727年]]、[[ヴェネツィア]]出版)である。これは、[[詩篇]]第1番から第50番まで、通奏低音つきで曲付けされた作品であり、後に[[チャールズ・エイヴィソン]]によって高く評価され、[[1757年]]にロンドンで英詩を付けて出版された。
 
その他の主要な作品は[[カンタータ]]であり、独唱用とアンサンブル用の作品が残されている。[[ブリュッセル]]音楽院が所蔵するベネデットの室内カンタータのスコアには、情婦のために作曲された興味深い作品が含まれている。近年では、[[レクイエム|死者のためのミサ曲]]も再評価されつつある。リコーダーのためのソナタ集、作品2もアマチュア、プロを問わず頻繁に演奏される傑作である。
 
[[1702年]]には自作の[[歌劇]]《受け入れられた信仰''La Fede riconosciuta'' 》を[[ヴィンチェンツァ]]で上演したにもかかわらず、[[オペラ]]の創作をあまり快く思っておらず、[[1720年]]には匿名で小冊子『当世流行劇場''Teatro alia moda'' 』を出版し、当時の歌劇をめぐる状況について、諷刺的に描き出した。このささやかな著作は、頻繁に再版された。これは読んで楽しいだけでなく、オペラの歴史に最も有意義な貢献を果たすものでもある。