「バーデン=バーデンの密約」の版間の差分

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大正9年([[1920年]])、三人を軸とした同憂の士は、長州閥の中に孤立していた真崎甚三郎[[軍事課長]]を擁護することをひそかに申し合わせた<ref name="nihonnokouzou"/>。
 
大正11年([[1922年]])から12年に永田と小畑が帰国すると、再び会合するようになり、同志も増えて、昭和2年([[1927年]])ごろ、[[二葉会]]を結成した。永田は、[[鈴木貞一]]が結成した[[木曜会 (陸軍)|木曜会]]と結合しようとし、小畑らの反対にあったが、巧みな政治的手腕によって、昭和4年([[1929年]])5月、二葉会と木曜会を合併して、[[一夕会]]を結成した<ref name="obatatosirou">須山幸雄『小畑敏四郎』</ref><ref name="hamagutitonagata">川田稔『浜口雄幸と永田鉄山』</ref>。
 
永田と小畑の親密な関係は昭和3年秋ごろまで続いた<ref>岡村寧次大将資料</ref>。大佐に昇進してしばらくしてからは、すっかり往来がなくなり、手紙のやり取りもなくなったという<ref name="obatatosirou"/>。