「艦砲射撃」の版間の差分

→‎歴史: 既に 門司城の戦いや長島一向一揆討伐で行われている。
(→‎歴史: 既に 門司城の戦いや長島一向一揆討伐で行われている。)
 
== 歴史 ==
日本の歴史上、初めて艦載砲による陸上施設への攻撃が行われたのは[[1716世紀]]、[[江戸戦国時代]]の[[島原門司城戦い]]で、[[オランダポルトガル]]船デ・ライプ号が[[江戸幕府大友義鎮]]からの支援要請により、[[門司城]]に対して艦砲射撃を行っている。[[織田信長]]の[[長島一向一揆]]討伐では織田艦隊が艦砲射撃を行った
 
時代が下って[[19世紀]]、[[1853年]](嘉永6年)の[[アメリカ合衆国]]の[[マシュー・ペリー|マシュー・C・ペリー]]提督の[[黒船来航]]以降、艦砲射撃対策が国防上の重要な課題となり日本国内の各所に沿岸[[砲台]]が築かれた。有名なのが[[東京臨海副都心]]で地名として残っている[[お台場]]である。しかし、この当時の日本は、大砲の運用を想定した築城技術が未成熟だった事と、大砲技術の違いから、[[1863年]](文久3年)7月の[[薩英戦争]]では[[薩摩藩]]が、翌[[1864年]](元治元年)9月の[[下関戦争]]では[[長州藩]]が、いずれも艦砲射撃で大きな損害を受け、[[攘夷]]の不可能を悟ったほどである。このように重量のある大砲を多数積み、速く自由に移動できる軍艦による艦砲射撃は、海岸線が長い日本にとっては脅威となった。
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