「Wikipedia:コメント依頼/Clarin20110407 3回目」の版間の差分

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CHELSEA ROSE (会話 | 投稿記録)
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Clarin (会話 | 投稿記録)
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== 被依頼者のコメント ==
まず初めに言うと、Mikuaxeさんの謝罪は謹んでお受けします。発言の内容というのは万人が真意を理解できるものというのはないし、理解できる人もいれば理解できない人もいるものです。ウィキペディアを数年やった心境として、人間を四角四面なものに当てはめてあらゆる無駄なものを攻撃していくという、そのようなウィキペディアな中の人間性について疑問を持っていることは確かです。もちろんそれは自分を含めてであり、自省を込めて言っているのです。今回の場合もまさに些事を問題化し、問題とされたことをさらに問題化していく。最初は、Mikuaxeさんがアンサイへのリンクを咎めに、会話ページに来られました。ここで差し戻しだけで済まされておけば、恐らく何の話にもならないレベルだったでしょう。「いや失礼。」と即答したのは、「もう中身では争わないよ」ということです。しかし荒らしとしてブロック警告というのは不快感を表明するに足るし、権利はあるでしょう。ところがわたしの態度が平伏して「悪うございました」といっていないことが他の人は気に食わなかったようです。次に管理者の方が来られました。海獺さんの対応は初めはこうです「「掲載すべきでない外部リンク」の内容を確認し、理解していただければと思います。」「リンクとして適切かどうかを判断することも~ご存知のはずです。」しかしウィキトラベルの話をした後は一変して「リンクを追加したことそのものの是非について、私は問題にしているのではありません。」となります。わたしがはぐらかしたと言われていますが、わたしははぐらかされたと思いました。ただし管理者として必要な方でもあるだろうし、体面もおありでしょうから、わたしが黙って「勘違い」したことにすればよかろう、という配慮をしたけのことです。わたしが方針に従わなかったとか愚痴を言ったといわれていますが、方針に何ら口出しできなければ方針は永遠に変わりません。変えてはいけないのは、三大方針だけです。それさえ許されないのは、何か全体主義の中で少しでも全体に従わなかったり従わない言論をしたら即刻槍玉に挙げられる、そのような恐怖です。「言論の自由」はないのでしょうか。無論、わたしは四角四面の中に納まりロボットのようになることは簡単ですが、それは神経でする仕事で、知性とは関係のないものです。誰かを揶揄するつもりはなく、事実としてそうだと思うだけです。アンサイはそうはいかないでしょう、それは残念だと思うし、愚痴の一つも言いたくなります。その意味がわからないなら、別にわからないでよいのではないでしょうか。事実、「ご存知のはずです。」に従って行動することが楽なため、今後アンサイへのリンクは繰り返さないでしょう。ウィキペディアのためのウィキペディアというのは、ウィキペディアン以外の人のためのウィキペディアではないという意味で、往々にして一般読者の目線を忘ているということです。最後に、CHELSEA ROSEさんが「開き直り」「不備」と表現されているのは、海獺さんはアンサイへのリンクを問題視しておらず、Mikuaxeさんもそれ以上反論されていない経緯を無視しており、それは明らかに決め付けられた話の前提であり、受け入れろというのは無理です。人が斜に構えた一瞬を捕らえて、真っ直ぐな定規を当てはめて問題だ問題だと次々に話を大きくして、何が楽しいのでしょうか。こんなことをすることの何が「建設的」で「百科事典を作るプロジェクト」なのでしょうか。みなさん、時間と労力(と電力)を、もうちょっとマシなことに使いましょう。--[[利用者:Clarin|Clarin]] 2011年4月7日 (木) 10:41 (UTC)
 
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