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'''工藤 雪枝'''(くどう ゆきえ、[[1965年]][[3月14日]] - )は、日本の[[ジャーナリスト]]、[[評論家]]。
 
== 経歴 ==
1965年([[昭和]]40年)[[北海道]][[美幌町]]に生まれ、その後幹部[[陸上自衛官]]である父親の転勤に伴って全国各地に移り住む。[[岡山県立津山高等学校]]時代、英検一級試験に全国1位の成績で合格。また、高校在学中にAFS財団プログラム留学生として米国に一年間ホームステイ留学し現地の高校を学生が選ぶ「学年中最も天才」という賞と共に卒業。また現地の高校を卒業する際の論文のテーマとして、日本人としての意識から「原爆とパールハーバー」という米国人にチャレンジするかのごときテーマを選び、現地ではその論文発表。帰国後は津山高校に編入し卒業。故に日米二つの高校を卒業している。その後、東京大学教養学部文科一類(法学部進学過程)に現役で合格。これは本人の父親の職業が憲法9条と絡めてどのように解釈されるべきかという子供のころからの問いに答えを見つけるための選択であった。[[1988年]](昭和63年)に[[東京大学]][[法学部]]私法コースを卒業。社会人になってからも東京大学大学院に入学。東京大学在学中にはESS、法律相談所に所属し、ゼミでは国際私法を学ぶ。ESSでは英語のディベート、スピーチセクションに所属し(英語)の数多くの全国大会で優勝。また学生を対象とした論文コンテストでも外務省外務大臣、ダイヤモンド出版、産経新聞社などから賞を獲得している。その賞を得た結果、当時のアキノ政権誕生間際のフィリピンなどASEAN5カ国を外交大使として訪問している。
[[北海道]]<!--[[美幌町]]-->に生まれ、その後[[陸上自衛官]]である父親の転勤に伴って全国各地に移り住む。[[岡山県立津山高等学校]]時代、[[実用英語技能検定|英検]]一級<!--を全国1位の成績で-->合格。在学中にAFS財団プログラム留学生として米国に1年間留学した。
 
金融界からマスメディア業界に転身したきっかけは、92年にテレビ朝日の報道番組「CNNデイブレイク」メインキャスターのオーディションにおよそ900倍の倍率を突破して合格したため。そもそもオーディションを受験した理由は、金融界の拝金主義に人生をかける気になれなかったことに加えて米国留学体験から、世界に誤解されている日本の立場を痛感したのみならず、湾岸戦争時に英国に在住したことでますますその感を強くしたため。ゆえに世界的なレベルで日本の真実を内外に伝え情報ギャップを解消するジャーナリストを目指すことに意義をかんじて外資系企業を退職。あえてマスメディアの企業に属さずフリーランスという立場にこだわったのは、そのほうが自分の信念を曲げずに制約のない状態で真実の発見し、伝達を行うことが簡単にできるとの目的意識からである。ゆえにいくつかのテレビ局からの中途採用のオファーを辞退して、現在でもフリーランスという立場にある。外資系企業勤務についてはJPモルガン銀行、さらに世界的な企業コンサルティング会社、マッキンゼーの日本支社およびロンドン支社に勤務。ロンドン支社では唯一の日本人として英国金融市場のコンサルティングに携わる。ジャーナリストとなって以降は防衛庁オピニオンリーダー、日本戦略研究フォーラム政策提言委員、外国人特派員協会報道委員 拓殖大学客員教授、日本トランスパーソナル心理学会理事などを歴任。TOEIC960点。取材に使用可能な言語は日本語と英語。
[[東京大学]]教養学部文科一類(法学部進学課程)<!--に現役で合格。-->在学中にはESS、法律相談所に所属し、<!--英語のディベート、スピーチ(英語)の全国大会で優勝。論文コンテストでも外務大臣賞、ダイヤモンド出版、産経新聞社などから賞を獲得している。-->[[1988年]]([[昭和]]63年)に東京大学[[法学部]]を卒業。[[JPモルガン・チェース|JPモルガン]]銀行、[[マッキンゼー・アンド・カンパニー]]日本支社およびロンドン支社に勤務。ロンドンで<!--は唯一の日本人として-->英国金融市場のコンサルティングに携わる。
 
[[1992年]]([[平成]]4年)、[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]](LSE)より経済学[[修士]]号取得。経済学の分野でも特にブラック・マートンらの[[デリバティブ]]価格理論を研究。同年よりフリーのジャーナリストとなる。
 
防衛庁オピニオンリーダー、日本戦略研究フォーラム政策提言委員、外国人特派員協会報道委員 拓殖大学客員教授、日本トランスパーソナル心理学会理事などを歴任。[[2007年]](平成19年)、[[安倍晋三]]首相(2006年9月26日 - 2007年9月26日在任)から戦略的広報親善大使に任命され<!--るも、政権が短命に終わったため大使としての活動は行うことはなかっ-->た。
 
== 活動 ==
=== 日本国内 ===
[[テレビ朝日]][[CNNデイブレイク]]メインキャスター他、[[日本放送協会|NHK]][[くらしの経済]]、[[NHK-BS]]「日曜特番」メインキャスター、テレビ朝日「ニュースステーション」など<!--数多く-->の全国ネット局のテレビ局報道番組でキャスター、コメンテーターをつとめる。また英国のロイズ保険組合、[[プラザ合意]]10周年特別番組、ウィサッチャクリ首相インタビュ経済レポート、ウルグアイラウンドからWTOへの変貌などを「ニュースステーション」特集にて企画・制作しスタジオレポートも担当した。情報を正確に伝えるためには企画制作の段階から関与すべきだとのモットーとともにNHKBS特集番組、日本テレビ24時間ニュースなどで<!--企画から取材、編集、レポート、テレビ出演だけでどすべてく一連の制作-->担当<!--した番組多い。外務省制作VPにおいては世界の国連(ニューヨーク、ジュネーブ、ウィーン、クロアチア)で働く国連職員、関係者を取材。その際にいまだ戦争中で地雷も多く埋まって-->た旧ユーゴスラビア、クロアチアのザグレブにても国連軍の取材などを行った
 
コメンテーターとしては「[[朝まで生テレビ]]」(テレビ朝日)「[[報道2001]]」(フジテレビ)「たけしのTVたっくる」(テレビ朝日)等多数のテレビ番組に加えて「武村健一の世相を斬る」などのラジオ番組にも多く出演している。キャスターとしての出演では政治経済のテーマを担当することが多かったが、1994年ごろからは安全保障、国際関係、国家論、戦史に興味を持ち、それらの取材を中心に活動。軍事学は現場と学術的議論が融合されるべきという発想から、自衛隊の各部隊を全国にわたって訪れているだけでなく、戦史に関しては古くは西南戦争の戦場や、大東亜戦争に関してフィリピン、硫黄島、グアム、義烈空挺隊が発進した熊本の健軍、特攻基地、知覧、鹿屋、などさまざまな戦史にゆかりのある場所を訪れている。
コメンテーターとしては[[朝まで生テレビ]]、[[報道2001]]など<!--多数-->の番組に出演。特に安全保障、国際関係、国家論を専門として活動。また、「[[皇室アルバム]]」など皇室関連のコメンテーターとしての出演もある。
 
また自衛隊の駐屯地や基地にて安全保障、国家論、戦史といった講演をすることも多いため、現場を肌で感じる機会を重視している。これまで、航空自衛隊のパイロットと同じ航空生理訓練に合格し、F15戦闘機、F2戦闘機、T4戦闘機に体験搭乗している。また陸上自衛隊に関してはヘリコプターOH6、UH1H、UH60、AH、そのほかCH47ヘリ、C130輸送機、90式戦車、74式戦車にも搭乗経験がある。そのほか海上自衛隊関連ではイージス艦ちょうかい、P3C、やアメリカ軍の空母「キティーホーク」にも搭乗、乗船している。
執筆においても「月刊文藝春秋」「正論」「諸君!」「中央公論」「SAPIO」「WILL」「VOICE」「婦人公論」英語版NEWSWEEKなど多数の雑誌に寄稿を行っている。既存の連載は「セキュリタリアン」「産経新聞」「ELLEジャポン」など。<!--また、[[拓殖大学]]客員教授も務めている。-->
 
工藤は戦史にも詳しいため、日露戦争の戦艦三笠(横須賀)にて講演を行ったり、2005年、日本海海戦勝利100周年を記念する国家的行事(中曽根元総理主催)のなかでも最年少の講師としてほかの著名な文化人とともに選ばれ私服刑事がずらりと並ぶものものしい雰囲気の中、札幌にて講演をおこなった。また、在日各国の駐在武官を取材した連載を防衛庁の発行した「セキュリタリアン」に連載。その恩恵で各国の大使館との人脈も豊富で、EU大使主宰の勉強会のメンバーでもあった。また思わぬ収穫として各国の駐在武官大使の奥様方から本場の料理レシピーを機密保持の観点から問題ないように多くいただき、かつては工藤雪枝風(スイス駐在武官伝達)のチーズフォンデュがインターネットで人気を博したこともあった。
英国の王族の情報にも詳しく、[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ妃]]の葬儀を[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が生中継した特別番組ではコメンテーターを務めた。
 
全国各地で経済、防衛関係の講演を行っている。
また、憲法問題研究会の委員も務め、読売新聞に掲載された「日本の安全保障を考える」をテーマとした対談で東大教授の北岡伸一氏と軍事評論家の志方俊之氏と議論を行っている。工藤本人の考えは憲法9条改正論者であり、集団的自衛権を日本は有することを主張している。
 
さらに靖国神社参拝論者でもあり、超党派の議員連盟とともに憲政記念館でその旨の講演を行っている。また靖国神社主宰の勉強会、シンポジウムのイベントにパネラーとして参加したこともある(俳優の藤岡弘さんと共演)。また三島由紀夫事件や2・26事件にも関心を持ち、ここ数年研究の対象としている。その関連で三島由紀夫の憂国忌、2.26事件のご法要には欠かさず出席している。また近年ではボーイング社が、ボーイングの会長と、米国大使経験者二人と工藤の4人がパネラーをつとめるシンポジウムを主宰。パネラーとして参加し、好評を博する。
 
 
執筆において「月刊文藝春秋」「正論」「諸君!」「中央公論」「SAPIO」「WILL」「VOICE」「婦人公論」英語版NEWSWEEKNEWSWEEK(英文による寄稿)など多数の雑誌に寄稿を行っている。既存の連載は「セキュリタリアン」「産経新聞」「ELLEジャポン」など。<!--また、[[拓殖大学]]客員教授も務めている。-->これまでに出版された本は「特攻へのレクイエム」(中央公論新社、中公文庫共に)「国を愛するということ」(モラロジー研究所)「論文集、靖国神社について」など5冊の著作がある。また執筆したもの以外に、工藤雪枝が取材を受けている記事も多い(ファッション雑誌oggi,週刊ポストグラビアページ、日経ウーマン、婦人公論など)
 
現在において工藤雪枝が考えている課題は戦後のモノ・カネ中心の考え方、また義務を軽視し国家のアイデンティティを否定したうえで、個人の権利ばかり主張されるミーイズム日本型民主主義のもとで、ますます貧困化していく日本人の精神性を嘆きつつ、それを改めるにはどうしたらよいか常に模索している状態である。
 
工藤雪枝の先祖が代々熊本細川藩の武士であり、いわゆる神風連のメンバーとして活動し、神風連の乱にも参加したことから、武士道にも大変関心をもっている。「武士に弐言はない」というのが工藤のモットーであり、至誠が天に通じることを生き方の指針とする。人生訓は西郷隆盛の「命もいらず名もいらず官位も金もいらぬ人は始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは困難を共にして国家の大業は成し得られぬ也。」という言葉である。ホームページでも工藤は「フリーランスとしてあえて名も地位もお金も得難い立場で国のためにという使命感を感じ続けていたい」と語っている。
 
=== 日本国外 ===
日本の国内事情、および政治、経済、文化を英語で海外に発信できるジャーナリストとして、世界中から取材およびラジオやテレビへの依頼を受けている。具体的には英国BBC、米国CBS・ABC・NBC、ロイターなどに取材を受けたり出演を英語で行っている。英国BBCにおいては特派員としても活動、また英国の著名記者であり天皇陛下とも接見したことのあるジョン・シンプソン氏が日本特集を組んだときも日本を代表するジャーナリストとして取材をうけた。BBCについてはラジオにも<!--数多く-->出演している。米国CBS、ABC、NBCにおいては夜のメインニュースに出演したほか、CBSの「48アワーズ」にも出演。そのほかAFP通信社、AP通信社からも取材を受けている
2003年にはフランス国防省および外務省の招聘でフランス国立高等防衛問題研究所に研究員として渡仏、[[ディプロマ]]を得る。
 
2003年にはフランス国防省および外務省の招聘で選ばれてフランス国立高等防衛問題研究所(IHEDN)に研究員として渡仏。いかにすれば紛争を解決し、平和を創設できるかという研究テーマでのシンポジウムが士官学校の敷地で数カ月行われ。ディプロマを得る。卒業式後の祝賀会では、成果が評価されて主賓テーブルに座る評価を受けた。。
<!--== 人物 ==
大学時代から[[皇太子徳仁親王妃雅子|皇太子妃雅子]]と親しく、その関係で「[[皇室アルバム]]」など皇室関連のコメンテーターとして出演。
現在、独身。-->
 
とくに外国に関しては文化関係の取材も多く、さまざまなアーティストを取材している。また、毎年開催されるフランスのドーヴィル映画祭にも招待されマスコミと映画俳優の距離感が日本と違って距離が短いという実感を受ける。映画に関しては、夕張でおこなわれた映画祭、東京ファンタスティック映画祭、東京国際映画祭などを取材している。
== 著書 ==
* 『特攻へのレクイエム』中央公論新社 2001年(2004年、同社の中公文庫でも文庫化)
<!--「検証・靖国神社問題」(PHP)など5冊。←詳細情報がないのでコメントアウト-->
 
 
== 脚注 ==
 
<references/>
また同年他の海外の活動に関してはペリーの黒船来航以来150周年を記念する行事で米国の日米協会の招きにより日本人として一人の代表に選ばれ、全米の各地の大学、大学院、学術シンポジウムなどで一か月間の間英語で講演をしてまわる。ワシントンのCSIS(戦略問題研究所)や一般の人々集まる講演会のほか、ノースウェスタン大学においては特別講師として一コマ安全保障と日米関係について授業も担当した。全米を重いスーツケースや資料の入ったバッグをかかえて、日本のことを誤解している聴衆たちを相手にしながら講演を、多い時で一日3回毎日行い続けるのは、日本という国家を背負っているようなやりがいと共に孤独な重労働でもあり、ワシントンから、西へ西へと移動し最後の講演地ホノルルでの、すべての公式行事が終わったとたん、工藤はまったく声がでなくなった状態で帰国。まさにアメリカの世論と戦い、日本の日の丸を背負ってきた気概がほっとゆるんだ瞬間であった。。さらに翌年2004年コロンビア大学の政治・行政大学院から「世界の著名講師シリーズ」の一人として日米関係史(特に[[太平洋戦争]])についての講演依頼も受けている。
 
<!--== 人物 ==
[[徳仁親王妃雅子|雅子]]皇太子妃の学友。東京大学時代に工藤の親友が雅子妃殿下(当時は小和田雅子さん)の旧友でもあったことから、ほぼ毎日3人で昼食をともにし、授業の後は、本郷どうりの某喫茶店でおしゃべりをしてから帰宅する毎日が続いた。それ以来英国留学を挟んで後も親しい関係にある。雅子妃殿下とは、小和田家の方々含め、家族ぐるみのおつきあいが続いてきたが、最近の皇室の微妙な空気故に以前のように小和田家を訪問することはなくなっているという。
 
趣味はオペラ・クラシック音楽・バレエ鑑賞。サッカー観戦フィギュアスケート観戦。世界の主要なオペラハウス、コンサートホールはほとんど訪れている。サッカーは、あのマラドーナがワールドユースサッカーでアルゼンチン代表として来日したころから好きな筋金入りのファンであり近年人気が出てきたサッカーファンとは一線を画したいと思っている。アルゼンチンのバティスチュータやスペインのラウルのファンであったが二人とも引退した故に近年はサッカー熱がさめている。フィギアスケートは1980年のレイクプラシッドオリンピックで男子シングル、ロビン・カズンズが優勝して以来すべての冬季オリンピックと、世界選手権をビデオに保存しているほどのファンで、故に最近フィギアスケートが人気急上昇中でありにわかファンが増えていることとも一線を画したいと心の中ではかんじている。。オペラ、クラシック音楽鑑賞、バレエ鑑賞熱は本格的にはヨーロッパ留学中に火がついた趣味である。その熱いまださめやまず、留学中にかかった学費をはるかに、上回る出費に苦しんでいる。好きなクラシック音楽はロマン派。バレエはフランス人の女性ダンサー、シルヴィー・ギエムのファンである。コンサートで感動したのはアバード指揮のニューイヤーコンサート(ウィーン91年)、サイモン・ラトル指揮のウィーン芸術週間で聴いたベートーベン。
 
([[2007年]](平成19年)、当時の[[安倍晋三]]首相から、戦略的広報親善大使に任命されるも、政権が短命に終わったため大使としての活動行うことができなかった。ヨーロッパや米国での体験を通していかに日本が誤解されているか、日本の歴史が歪曲されているかを是正するすばらしいチャンスと任命されたときには思ったが、工藤の中では、日本の政治、経済、文化とともに歴史の誤解を解き、日本人の精神性を伝えたいという思いは、幼稚園児のことからの夢であり、今も、その実現の夢を捨てずに研究や努力を続けている。
また工藤雪枝は、国内外の著名人の多くにインタビュー、対談などを行ってもいる。たとえば、投機家ジョージ・ソロス、サッチャー元英国首相、宮沢内閣以降のほとんどの総理経験者、政財界のVIP、パバロッティ(テノール歌手)ピアニスト、ブーニンなど、政財界から文化人、スポーツ選手まで幅広い人々との交流をもつ。詳しくはホームページの中にこれまで取材した人物リストが掲載されている。とくに楽しかったインタビューはパバロッティとヴェルディのオペラ「リゴレット」のアリアを合唱したこと。これは当初からの予定ではなかったが、あまりにもパバロッティのマネージメント側のガードが高かったので、工藤は「清水の舞台から飛び降りるつもりで提案した」アドリブであった。
 
家族は両親が宮崎市に在住。工藤雪枝本人は未だ独身。弟が一人おり、現職の幹部自衛官として無事結婚もし、防衛省に勤務している。
 
工藤のほかの趣味は、観劇、ハーブ、アロマテラピー研究、料理。英語で好きな言葉は「THE SKY IS THE LIMIT」(限界は空高くに、つまり限界をつくらず高みを常に目指すべきという考え方)。また心から活動していることとして、遺棄された動物や虐待された動物、保健所による殺処分をまぬかれた犬や猫たちのケア(ボランティアとしての活動)や世界的紛争地域で親を失ったりした子供たちを助けるプロジェクト。
 
ほかにも近年増加している児童虐待される日本の子供たちのことに大変心を痛めている。核兵器の廃絶も大きな関心があるテーマである。何よりも、日本という国の独立、平和、世界における日本の地位の向上にはなみなみならぬ関心をいだいている。日本に対する誤解や差別といった世界に未だ存在する誤解を真実を追い求めて、伝えていくことで少しでも日本に対する世界の目が変わることを自ら実現したいと感じている。幕末、明治時代の日本、武士道、日本人としてのアイデンティティの形成、国家としての意識の形成、世界的なレベルでの平和の創設に強い関心を寄せている。工藤の考えでは、軍隊はもはや戦争のためのものでなく紛争を解決しテロと戦う平和創設軍であり、世界的なレベルでの平和の実現のためには、各国の軍隊、さらには諜報機関が情報を共有化し、国家間の意識の差をなくしていくことが必要だと考えている。
 
== 著書 ==
『特攻へのレクイエム』(2001年7月 中央公論新社。中公文庫でも文庫化)「検証・靖国神社問題」(PHP)「皇室は必要か」「国を愛するということ」など5冊。
 
== 外部リンク ==