「パンクブーブー」の版間の差分

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* 高校卒業後、[[九州産業大学]][[商学部]]へ''斜体文''進学と同時に福岡吉本に所属、福岡吉本6期生となる(黒瀬より年齢は1つ下だが、芸歴では黒瀬の2年先輩にあたる)。[[1995年]]初舞台、しかし大学は単位が足りずに1年で中退、芸人一本に絞る。福岡吉本入所当初はコントグループ「パンダさん」の一員として活動していた(当時はツッコミ)が、佐藤以外の全メンバーが芸人を辞めてしまったため一年足らずで解散。
* ピン芸人を経てコンビ「モンスターズ」を結成。当時の相方は「[[どんぴしゃ]]」の赤峯康一。当時の芸名は「テツオ」で、金髪だった。上京してからも一時期は「哲夫」という芸名を使っていたが、後輩に[[笑い飯]]の[[中西哲夫|哲夫]]がいたため、本名の佐藤哲夫に戻す。
* 当時モンスターズは、ローカル番組のレギュラーや月20本の舞台をこなすなかなかの売れっ子だったが、福岡吉本のあまりの薄給に苦しむ毎日だった。初めて吉本入りした月の月収は'''90円'''で(1ステージ50円×2回から源泉で10円マイナス)、最も収入があった月でも月収'''8万円'''ほどだったという。そのときは、バイトをする暇もない(=副業で収入を増やせない)くらいほどの忙しさあった。次第に、「どんなに忙しくても福岡にいたままでは食べていけない」という思いを募らせるようになる。その頃、コンビ間でも色々な面で意見が合わなくなってきており、モンスターズは解散。一人身になったことでふんぎりがつき、本格的に上京を決意。
* 当初は単身での上京を考え、一人でその準備を進めていた。そんな折、同じく福岡吉本に所属していた黒瀬と博多駅のハンバーグ屋で食事をすることになるが、黒瀬から「自分のコンビも解散する勢い」「福岡にいても食べられないし、福岡吉本を辞めて東京に行こうと思っている」という話になり、自分と同じ考えを持っていたことを知る。「それなら2人で東京に行こう」と共に東京の芸能事務所を探しているうちに、丁度ボケとツッコミだったということから、2001年に黒瀬と共にパンクブーブーを結成。当時の福岡事務所長の方針(詳しくは来歴の欄参照)により、一時吉本を辞めるが、上京して東京吉本の所属となる。
* 舞台裏では楽屋にいることが少なく、常にどっかに行っているらしい。
* 2010年4月3日、'''自身の34回目の誕生日'''に、交際していた一般女性と入籍。妻の姉の夫(義兄)は、前述の福岡吉本所属の先輩芸人・[[コンバット満]]。元々夫人のほうが佐藤に対し好意を抱いており、M-1前から「佐藤を紹介してほしい」とコンバット満に頼んでいたそうで、M-1後にそれがようやく実現。当初は佐藤、コンバット共に「ちょっと会うだけ」程度の感覚であったが、それがきっかけとなり交際、そして結婚に発展することになる。佐藤本人は夫人が妊娠中の子供が安定期に入るまで結婚を公表するつもりはなかったが、コンバット満の不注意から約一ヶ月後の2010年5月8日に情報が公になる。ちなみにこの5月8日は、奇しくも'''相方の誕生日'''である。
* 2010年11月6日に第1子となる男児が産まれた。