「丸山由美」の版間の差分

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中学生からバレーを始める。東京・[[松蔭中学校・高等学校 (東京都) |松蔭高校]]を経て、[[1976年]]に[[日立ベルフィーユ|日立]]に入社。[[1979年]]日立の主将となり、その後[[中田久美]]、[[三屋裕子]]らと共に日立の黄金時代を築いた。
 
[[1982年]]から全日本主将となり、世界的な[[ミドルブロッカー|センタープレイヤー]]として活躍した。同じセンタープレーヤーでも三屋が高さを武器としていたのに対して、江上は上手さを武器にしていた。特にタッチなどの軟攻には比類なき上手さを見せつけた。また、身長175cmとセンタープレーヤーとしては決して大きくなかったが、ブロック上手さにも定評があり、タイミングの良いブロックで何度もチームの窮地を救っている。[[1984年]][[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルス五輪]]で銅メダルを獲得をした後に一度引退。
 
[[1986年]]、女子バレーボールチームの[[小田急ジュノー]]監督に就任。翌[[1987年]]に同チームで現役復帰。[[1988年]][[ソウル五輪]]出場後、再び現役引退した。現在日本バレーボール協会公認講師、小田急バレーボールクリニック主任講師として後進の指導に当たっている。