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*幼くして(一説に9歳)空海を慕い出家したと伝えられる。はじめ[[大安寺]]に入る。
*[[天長]]8年([[831年]])、一説にこの年、真雅から両部灌頂を受ける(実際はもっと後年とみられる)。
*[[承和 (日本)|承和]]元年([[834年]])3月、一説に[[比叡山]]西塔院の落慶供養に際し、空海に随い[[実恵]]ら諸弟子とともに参列。
*  11月15日(12月15日説、天長10年説あり)、空海から高野山の経営を託されたと伝えられる(非現実的とされている)。
*承和3年([[836年]])、入唐留学僧として遣唐使船に乗り唐を目指す。同門で請益僧の[[真済]]も同船。ところが7月、嵐で船が難破し、筏に移り23日間漂流。30余人の同乗者はみな餓死して、真済と真然だけが奇跡的に生き残り、南海の島(具体的な場所は不明)民に救助された。<ref name="sinzei">なお、この遭難について伝える『[[日本三代実録]]』貞観2年2月25日条の真済卒伝は「弟子真然」と記しており、真然は真済とも師弟関係にあったとみられる。『[[東寺長者補任]]』には「真雅僧正灌頂、真済受法」とある。</ref>