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==沿革==
いま[[奈良町]]といわれているあたりに、[[718年]]([[養老]]2年)、[[飛鳥]]の[[法興寺]]が[[平城京]]に元興寺として移されたことに始まる。当時の[[元興寺]]の[[伽藍]]として現在残っているのは、元興寺極楽坊と元興寺塔跡および小塔院跡の三カ所のみである。[[法相]]の有名な学僧である[[護命]]は小塔院僧正とよばれ、[[834年]]([[承和 (日本)|承和]]元年)この小塔院で亡くなった。現存の護命の供養のために創られた[[宝篋印塔]]は[[鎌倉時代]]後期のものとされる。また現在[[元興寺]]極楽坊にある国宝の五重の小塔は、かってこの小塔院に安置されていたとされる。''元興寺小塔院跡''として[[1965年]]([[昭和]]40年)に国指定の史跡となっている。
 
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