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'''大森 実頼'''(おおもりさねより、生没年不詳)は、[[室町時代]]の[[武将]]。[[扇谷上杉家]]家臣。[[大森氏頼]]の嫡男。弟に[[大森藤頼|藤頼]]の兄。子に[[大森定頼|定頼]]、[[大森顕隆|顕隆]]がいる。[[相模国|相模]][[小田原城]]城主。官位は[[信濃国|信濃権守]]
 
[[堀越公方]][[足利政知]]と[[渋川義鏡]]の讒言によって[[室町幕府]]8代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義政]]から父や[[三浦時高]]・[[千葉実胤]]と共に謀叛の疑いを受ける。これに憤って[[寛正]]5年([[1464年]])5月に隠退してしまうが、[[太田道灌]]の奔走と義政の慰留で復帰した。以後、道灌に従って[[長尾景春]]・[[豊島泰経]]・[[千葉孝胤]]らと戦うが、若くして没した。
 
なお、没日については、[[文明_(日本)|文明]]15年([[1483年]])[[7月16日_(旧暦)|7月16日]]説(『乗光寺過去帳』)と文明18年([[1486年]])[[10月19日_(旧暦)|10月19日]]説(『[[新編相模国風土記稿]]』)とがある。
 
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[[Category:室町時代の人物]]
[[Category:大森氏|さねより]]
[[Category:生年不明]]
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