「理神論」の版間の差分

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スピノザは『神学政治論』で、聖書それ自体も同じように歴史的批判にさらされなければならないことを提唱し、理神論への道を開いた。しかしスピノザは生前は無神論者であるという[[人身攻撃]]を受け、イギリスではいわゆる「'''理神論論争'''」が始まった。
 
== 理神論論争 ==
[[1695年]]に[[ジョン・ロック|ロック]]が『キリスト教の合理性』で、理性の権威と聖書の権威が両立することを証明しようと努めたが、それでも「救済の条件を不当に低めて、異端者が救われるようにした」というとがめを受けた。ロックが知性の力で支持できない教説の地位を下げたことをさらに進め、[[1696年]]にジョン・トーランドが『キリスト教は秘蹟的ならず』を著し、キリスト教の本質は道徳の掟に他ならず、後世の教会が設けた教義はキリスト教の信条を独断的に改ざんしたものである、と主張した。キリスト教から秘蹟を追放しようとする彼の企ては、人間の認識というものが神に関する知識におよぶものなのか、それともロックやトーランドの反対者が言うように「神の存在とは理性を超えるもの」なのかという問題を提起し、[[デイヴィッド・ヒューム|ヒューム]]の懐疑主義により「神が存在するかどうかは、人間には認識できない」という形で一時は解決する。