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== 江戸末期までの典侍 ==
[[江戸時代]]末期には宮中における高級女官の最上位であった。その典侍の中でも最上位に位置し、女官を統括する者は'''大典侍'''と称し、勾当掌侍('''長橋局''')と並んで御所[[御常御殿]]の事務諸事一切を掌握した。
 
典侍は天皇の日常生活における秘書的役割を勤める者(お清の女官)と、同じ典侍でも天皇の寵愛を一身に受け、皇子女を生む側室の役割を持つ者がいた(江戸期に即位した天皇の生母のほとんどは典侍である。近代の天皇家においては[[貞明皇后]]と[[香淳皇后]]の代で初めて[[皇后]]の実子が世継ぎとなった)。そのため典侍になるには[[公家]]の中でも一定の[[家格]]以上の子女しかなることができず、[[大臣家]]、[[羽林家]]、[[名家 (公家)|名家]]の中で上位の家格を持つ公家の子女がなった。一方で正妃として迎えられることが建前となっていた[[摂家]]、[[清華家|清華]]といった最上流の家格を持つ公家の子女は、[[女御]]以上([[准三后]])に叙せられるため、典侍にはならない決まりになっていた。