「安藤定治」の版間の差分

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== 経歴 ==
=== 斎藤家臣時代 ===
[[美濃国|美濃]][[斎藤氏]]の有力家臣であった[[西美濃三人衆]]の一人、[[安藤守就]]の長男として生まれる。諸系図などでは「尚就」とされるが現存している書状の名義は全て「'''平左衛門尉定治'''」となっている。また、父同様に伊賀姓を名乗る事も多く、『[[信長公記]]』などは「'''伊賀平左衛門尉'''」として掲載されている。
 
[[永禄]]9年([[1566年]])、[[日根野弘就]]・[[竹腰尚光]]・[[氏家直元]]と四人の連署で[[甲斐国|甲斐]]の[[武田氏]]へと[[織田信長]]の近況を報じた書状が初出。従来では定治を除く三人に守就を加えた四人の連署が慣例であったがこの時は何らかの理由で父の代理で文書の発給人に名を連ねたを思われる。