「奴婢」の版間の差分

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日本における奴婢制度は、隋・唐の[[律令制]]を取り入れる時に日本式に改良して導入したものである。
 
奴婢自体は、[[三国志 (歴史書)|三国志]][[魏志倭人伝]]に[[卑弥呼]]が亡くなったとき100人以上の奴婢を一緒に[[殉葬]]したと言う記述や、[[生口]]と呼ばれる奴隷(または捕虜。異説もある)を[[魏 (三国)|魏]]に朝貢したと言う記述が見られるように、少なくとも[[邪馬台国]]の時代には既に奴婢は存在していた。これらの古代から存在していた奴婢を、律令制を取り入れるときに整理しなおしたものが、日本の奴婢制度だと思われる。なお、[[律令法]]においては良民を奴婢とすることは[[賊盗律]]によって禁じられていたが、債務返済に関しては[[役身折酬]]と呼ばれる返済方法が認められており、多額の負債を背負わされて奴婢同様に使役される者もいた
 
律令制における賤民は、[[五色の賎]](ごしきのせん)と呼ばれ五段階のランクに分けられていた。その中で最下級に置かれたのが奴婢である。奴婢は、大きく、'''公奴婢'''(くぬひ)と'''私奴婢'''に分けることが出来た。日本の律令制下における奴婢の割合は、人口の5%前後だと言われている。
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