「小野田隆雄」の版間の差分

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スペシャル
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父を[[住職]]に持つ家庭の三人兄弟の末っ子として生まれる。都立大学社会学部卒業後の[[1966年]]に[[資生堂]]に入社。宣伝文化部に配属される<ref>小野田の家庭は、すでに一番上の兄が早世していたため、資生堂に入社後しばらくの間は、土日に実家へ戻って、檀家回りをしつつ、平日は宣伝部でコピーを書くといった生活を送っていたが、のちに実家の住職を継ぐのを断り、そのままコピーライターとしての仕事を続ける決心を固めることになる。</ref>。
 
[[1969年]]に資生堂スペシル化粧品のコピー「'''効果的なシャドウは眼をふせても美しい'''」でTCC新人賞を受賞。その後も[[1972年]]には自身の代表作となる資生堂シフォネットのコピーならびに、同社が刊行する月刊誌『[[花椿]]』の特集タイトルにも起用された「'''ほほ ほんのり染めて'''」を送り出し、一躍注目される。その後も「'''海岸通りのぶどう色'''」「'''レンガ通りの白い肌'''」「'''うれしくて、バラ色'''」など、資生堂から発売される製品や企業コピーを書き続けてゆく。
 
[[1983年]]に資生堂を退社後は、フリーとなり、自身のオフィス「アップ」を設立。その後も[[サントリー]]、[[三菱自動車]]などのコピーを担当、また資生堂とは、現在でもコピーを担当し続けるなど深い関係を続けている。
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