「キャロライン・ウォズニアッキ」の版間の差分

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== 経歴 ==
[[File:Carolinewozniacki.jpg|left|thumb|[[2006年ウィンブルドン選手権]]ジュニア優勝]]ウォズニアッキの家族は、父親はデンマークと[[ポーランド]]のリーグでプレーした元プロ[[サッカー]]選手でポーランド生まれのピョトル・ヴォズニアツキ、母親は[[バレーボール]]のポーランド代表選手アンナ・ヴォズニアツキであり、夫妻はピョトルがデンマークのプロサッカーチームクラブと契約した際にポーランドを離れデンマークに移住している。これは1980年代のことであり当時のポーランドはまだ[[共産主義]]体制を採っていた。キャロラインの兄もデンマークのプロサッカー選手である。キャロラインは父親の手ほどきで7歳から[[テニス]]を始め、[[2005年]]4月から女子テニス国別対抗戦・[[フェドカップ]]のデンマーク代表選手に選ばれ、同年7月に15歳でプロテニス選手になった。2005年の「オレンジボウル選手権」(ジュニアテニス選手の登龍門と言われる大会)で優勝した後、[[2006年]]前半に[[2006年全豪オープン|全豪オープン]]ジュニア女子シングルス準優勝・[[2006年全仏オープンテニス|全仏オープン]]ジュニア女子ダブルス準優勝・[[2006年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]ジュニア女子シングルス優勝を記録した。ジュニア選手のトーナメントに出ていた頃、ウォズニアッキは[[日本]]の[[世界スーパージュニアテニス選手権大会]]に3年連続で出場し、同選手権の女子シングルスで[[2004年]]・[[2006年]]の2度優勝した。ウォズニアッキが同じ年の[[森田あゆみ]]に勝った試合も多く、そのため日本でも早くから知名度を得ていた。
 
[[2007年]]、ウォズニアッキは[[2007年全仏オープン|全仏オープン]]で[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]本戦にデビューした。10月の[[ジャパン・オープン・テニス選手権|ジャパン・オープン]]で、彼女は女子シングルス準決勝まで勝ち進み、第1シードの[[ビーナス・ウィリアムズ]]に 3-6, 5-7 で敗れた。[[2008年全豪オープン]]では世界ランキング64位のノーシードから勝ち上がり、初めての本戦4回戦に進出した。2回戦で第21シードの[[アリョーナ・ボンダレンコ]]([[ウクライナ]])を破って波に乗るが、4回戦で第4シードの[[アナ・イバノビッチ]]([[セルビア]])に 1-6, 6-7 で敗退した。[[2008年全仏オープン|全仏オープン]]では「第30シード」に選出され、3回戦でイバノビッチに 4-6, 1-6 で敗れた。同年8月の[[スウェーデン]]・[[ストックホルム]]大会と「パイロットペン・テニス選手権」でシングルス2勝を獲得。それから、2度目の出場となったジャパン・オープンでも初優勝を飾り、シングルス3勝目を挙げた。こうして、ウォズニアッキはデンマーク人女性として初めて[[WTA]]ツアーのシングルス・タイトルを獲得した選手になった。