「大江磐代」の版間の差分

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典仁親王没後は出家して蓮上院となり、次男で[[聖護院]]門跡宮家を継いでいた閑院宮典仁親王第七王子・盈仁入道親王のもとで暮らした。父・[[岩室宗賢]]もその縁で家臣に取り立てられ[[法橋]]の位を与えられていた。
 
[[文化 (元号)|文化]]9年([[1812年]])に69歳で没し、盧山寺に葬られた。[[1878年]]に[[従四位]]、[[1902年]]に[[一位]]を贈られた。
 
== 系譜 ==
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