「藤原高藤」の版間の差分

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YOSHI438 (会話 | 投稿記録)
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[[868年]]([[貞観_(日本)|貞観]]10年)従五位下、長らく五位に留まっていたが、[[893年]]([[寛平]]5年)娘の[[藤原胤子|胤子]]の子である[[醍醐天皇|敦仁親王]]の立太子を受け、[[894年]]([[寛平]]6年)に三階級昇進して[[従三位]]に叙せられた。[[895年]](寛平7年)に[[参議]]に任じられ、以後昇進して[[大納言]]に至るが、[[900年]]([[昌泰]]3年)に危篤となる。時の[[醍醐天皇]]の[[外祖父]]であることから、大臣への昇進が検討されたが、当時[[左大臣]][[藤原時平]]と[[右大臣]][[菅原道真]]がおり、いずれも[[太政大臣]]昇進の資格を満たしてはいなかったために、大臣の席を空席にすることは困難であった。そこで[[藤原魚名]]以来100年以上途絶えていた内大臣を復置して高藤をこれに任じた。しかしその後間もなくして没する。
 
死後、[[天皇]]の外祖父として[[正一位]]太政大臣が贈られた。なお、このいきさつは[[今昔物語]]』「高藤の内大臣の語などに記されている。
 
== 系譜 ==
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**女子:[[藤原満子]](尚侍)
*妻:大江元平の娘
**男子:[[藤原定文]]
*妻:不明
**男子:[[藤原定数]]
{{DEFAULTSORT:ふしわら の たかふし}}
 
[[Category:良門流|たかふし]]
[[Category:勧修寺流|*たかふし]]
[[Category:藤原北家|たかふし]]
[[Category:平安時代の公家]]
[[Category:838年生]]
[[Category:900年没]]
{{DEFAULTSORT:ふしわら の たかふし}}
 
[[en:Fujiwara no Takafuji]]