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性格は冷静、沈着だったといい、江戸期は[[自習館]]で学んだ。その後、時習館の代見となって武の道にも精進したという。
 
[[明治6年]]([[1873年]])12月、白川県等外四等出仕に任ぜられ、明治8年(1875年)11月9日、熊本県六等警部に累進した。
 
[[明治9年]]([[1876年]])[[10月24日]]の[[神風連の乱]]では弟・[[須崎休十郎]]の報せでいち早く敬神党の挙兵を察知し、一等警部・[[仁尾惟茂]]に報告して対策会議のために[[安岡良亮]]県令邸にむかった。そこで敬神党・[[吉村義節]]らの襲撃をうけたが、県令や参事・[[小関敬直]]らを護衛するため素手で奮戦し、[[愛敬正吉]]と格闘してその目をくりぬいた。しかしそこに駆けつけた他の敬神党員に斬られ、自宅へ逃れたが翌日に死亡した。享年34。