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[[ファイル:William and Kate wedding.jpg|thumb|現在のケンブリッジ公爵位保持者ウィリアムと同妃キャサリン。2011年4月29日の結婚式の当日(写真)に祖母のエリザベス女王より叙爵された。]]
'''ケンブリッジ公'''
== 歴史 ==
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ヨーク公は2番目の妻が産んだ長子チャールズにケンブリッジ公を与えようとしたが生後約1か月で死亡し、あまりに短命だったために公式に創設できなかった。
[[1706年]]、[[ハノーファー王国|ハノーファー王]]であった[[ジョージ1世|ゲオルグ・ルードウィッヒ]](後の[[グレートブリテン王国|連合王国]]国王ジョージ1世)の息子である[[ジョージ2世|ジョージ・アウグスタス]]へケンブリッジ公領が与えられることとなり、公爵位が再び創設されることなった。後にジョージ・アウグスタスがジョージ2世へと即位した際、公領は王国領へ併合された
[[1801年]]には、[[グレートブリテン王国|連合王国]]の王族の爵位として、[[ジョージ3世]]の七男である[[アドルファス (ケンブリッジ公)|アドルファス]]にケンブリッジ公の爵位が与えられた。彼の息子の[[ジョージ (ケンブリッジ公)|ジョージ]]の死後、法的な相続者が存在しなかった(ジョージには男児は存在したが王室結婚令に背いていた)ことから[[1904年]]に爵位は断絶することとなった。
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[[1917年]]、[[アドルファス (ケンブリッジ公)|アドルファス]]の外孫で、[[ジョージ5世]]の王妃[[メアリー・オブ・テック|メアリー]]の弟である[[テック公]][[アドルファス・ケンブリッジ (初代ケンブリッジ侯爵)|アドルファス]]が'''ケンブリッジ侯'''に叙爵されたが、[[第一次世界大戦]]中に連合王国の敵国であったドイツの爵位であるテック公を放棄した代わりに与えられたものであった。この爵位は、[[1981年]]にアドルファスの息子の[[:w:George Cambridge, 2nd Marquess of Cambridge|ジョージ]]が男児を残さないまま亡くなったことから断絶した。
[[1999年]]、[[エリザベス2世]]の三男である[[エドワード (ウェセックス伯爵)|エドワード]]が結婚した際、有識者達はケンブリッジ公か[[w:Duke of Sussex|サセックス公]]の爵位がふさわしいとしてエドワードに提案したが、エドワードは代わりに[[ウェセックス伯爵|ウェセックス伯]]の爵位を創設した。その後、英国の国内情報誌「[[w:The_Sunday_Telegraph|ザ・サンデーテレグラフ]]」によって、本来はエドワードが結婚後にケンブリッジ公へ叙爵される筈だったことが報道された。但し、別の報道によれば[[1998年]]に公開された「[[恋におちたシェイクスピア]]」を視聴後、[[コリン・ファース]]によって演じられたウェセックス卿にエドワードが憧憬を抱き、ウェセックス伯の叙爵をエリザベス2世へ求めたとされている
[[2011年]][[4月29日]]、[[エリザベス2世]]の孫である[[ウィリアム (ケンブリッジ公)|ウィリアム]]と[[キャサリン_(ケンブリッジ公爵夫人)|キャサリン・ミドルトン]]が結婚した日、ウィリアムはケンブリッジ公の爵位と共に、ストラザーン伯とキャリクファーガス男爵の爵位も創設した
== ケンブリッジ公 ==
=== 形式上
*チャールズ・ステュアート(1660年 – 1661年) - [[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]の長男。夭折したために形式上。
=== 第1次創設
*[[:w:James Stuart, Duke of Cambridge|ジェームズ・ステュアート]](1663年 – 1667年) - ジェームズ2世の次男。夭折。
=== 第2次創設
*[[エドガー・ステュアート]](1667年 - 1671年) - ジェームズ2世の四男。夭折。
=== 形式上
*チャールズ・ステュアート(1677年) - ジェームズ2世の五男。夭折。
=== 第3次創設
*[[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]](1683年 – 1760年) - [[ジョージ1世 (イギリス王)|ジョージ1世]]の唯一の息子で後に[[コーンウォール公]]、[[プリンス・オブ・ウェールズ]]になり、王に即位。
=== 第4次創設
*[[アドルファス (ケンブリッジ公)|アドルファス]](1774年 - 1850年) - [[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]の七男。
*[[ジョージ (ケンブリッジ公)|ジョージ]](1819年 - 1904年) - アドルファスの唯一の息子。3人の子どもがいたが、王室結婚令に背いて愛人サラ・フェアブラザーと結婚して儲けた子どもなので、王族としての身分及び襲爵は認められず、彼の死をもって断絶。
=== 第5次創設
*[[ウィリアム (ケンブリッジ公)|ウィリアム]](1982年 - ) - [[チャールズ (プリンス・オブ・ウェールズ)|チャールズ]]王太子と[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ・スペンサー]]の長男。
== ケンブリッジ侯爵
*[[アドルファス・ケンブリッジ (初代ケンブリッジ侯爵)|アドルファス・ケンブリッジ]] (1868年 – 1927年) - アドルファス王子の娘の息子。彼は[[ジョージ5世]]が、[[第一次世界大戦]]の時に、英国王室成員とドイツ系英国貴族のドイツの称号を放棄することになった際に、放棄したドイツの称号の代わりにケンブリッジ侯爵に叙せられた。
*[[:w:George Cambridge, 2nd Marquess of Cambridge|ジョージ・ケンブリッジ]](1895年 - 1981年) - 初代ケンブリッジ侯の唯一の息子である。男子を残さず死去したため、彼をもってケンブリッジ侯爵家は断絶した。
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