「レーモン・オーブラック」の版間の差分
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[[リベラシオン]]という[[新聞]]の発行を計画し、紙や印刷所を主にイタリア軍占領地域で探索し、[[マルセイユ]]や[[モンペリエ]]に情報を発信する。
[[リベラシオン・シュド]]というレジスタンス運動体の形成に参画。1943年3月15日にリヨンで[[フランス]]の[[刑事]]に捕まるも、[[予審]][[判事]]の裁量によって、[[裁判]]が行われるまで[[釈放]]
1943年10月21日、獄中で結婚を認められた妻のリュシーが仲間とともにドイツ軍の移送車を襲撃し、このとき13人の活動家ともにレーモン・オブラックも解放された。1944年2月15日に[[アルジェリア]]に向かい、フランス政府を代表する行政府の再建に従事する。後に[[マーンハム]]によってジャン・ムーランの逮捕に係わったとして激しく非難される。
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