「ケンブリッジ公」の版間の差分

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ヨーク公は2番目の妻が産んだ長子チャールズにケンブリッジ公を与えようとしたが生後約1か月で死亡し、あまりに短命だったために公式に創設できなかった。
 
[[1706年]]、[[ハノーファー王国|ハノーファー王]]であった[[ジョージ1世|ゲオルグ・ルードウィッヒ]](後の[[グレートブリテン王国|連合王国]]国王ジョージ1世)の息子である[[ジョージ2世|ジョージ・アウグスタス]]へケンブリッジ公領が与えられることとなり、公爵位が再び創設されることなった。後にジョージ・アウグスタスがジョージ2世へと即位した際、公領は王国領へ併合された<ref>{{cite web |url=http://www.royal.gov.uk/LatestNewsandDiary/Pressreleases/2011/Announcementoftitles29April2011.aspx |title=Statement Issued by the Press Secretary to the Queen Confiring a Dukedom on Prince William of Wales |publisher=Buckingham Palace |date=29 April 2011 |accessdate=29 April 2011}}</ref>。
 
[[1801年]]には、[[グレートブリテン王国|連合王国]]の王族の爵位として、[[ジョージ3世]]の七男である[[アドルファス (ケンブリッジ公)|アドルファス]]にケンブリッジ公の爵位が与えられた。彼の息子の[[ジョージ (ケンブリッジ公)|ジョージ]]の死後、法的な相続者が存在しなかった(ジョージには男児は存在したが王室結婚令に背いていた)ことから[[1904年]]に爵位は断絶することとなった。