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[[ファイル:Gaston MASPERO.jpeg|thumb|ガストン・マスペロ]]
'''ガストン・カミール・チャールズ・マスペロ'''(Gaston Camile Charles Maspero、[[1846年]][[6月23日]]~[[1916年]][[6月30日]])は[[フランス]]の[[考古学者]]。[[ロンバルディア]]から移住した先祖を持ち、[[パリ]]で生まれた。子は[[中国学者]]の[[アンリ・マスペロ]]。1869年から[[高等研究実習院]]でエジプト語を講義し、1874年には[[コレージュ・ド・フランス]]の Champollion 教授に就任した。[[1880年]]に[[エジプト]]へ派遣され[[オギュスト・マリエット]]の後を継いで[[エジプト考古学庁]]の最高責任者となった。また、政府の委託で[[カイロ考古学研究所]]を設立したことでも知られる。[[カイロ博物館]]の2代目館長でもあった。
 
== 参考資料 ==
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{{Academic-bio-stub}}
{{DEFAULTSORT:ますへろ かすとん}}
[[Category:1846年生]]
[[Category:1916年没]]
[[Category:フランスの考古学者]]
[[Category:コレージュ・ド・フランスの教員]]
[[Category:高等研究実習院の教員]]
[[Category:イタリア系フランス人]]
[[Category:パリ出身の人物]]
[[Category:1846年生]]
[[Category:1916年没]]
 
[[ar:جاستون ماسبيرو]]