「計画経済」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m r2.6.4) (ロボットによる 変更: simple:Command economy
m編集の要約なし
12行目:
計画の機能を初めて本格的に取り上げたのは、『[[反デューリング論]]』や『[[空想から科学へ]]』を著した[[ドイツ]]のフリードリヒ・エンゲルスである。
 
計画経済の原型は[[ウラジミール・レーニン|レーニン]]の[[:en:GOELRO plan|ゴエルロ・プラン]]、[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]による第一次[[五カ年計画]]期ソ連だった。複雑極まりない経済動態を当局者(ソ連では[[ゴスプラン]]と呼ばれた)が完全に把握し、[[需要と供給|需給]]を調整したりするのは極めて難しく、[[コンピュータ]]を用いてこれを解決しようという試みもあった([[社会主義経済計算論争]])。また計画経済システムの内在的な欠陥を市場メカニズムの導入により解決しようという試みがコスイギン改革やハンガリーにおいて進められたが、結果的に失敗した。
 
しかし、当時は[[世界恐慌]]の影響を全く受けず非常に高い経済成長を達成したため、世界各国が大きな影響を受けた。特に[[枢軸国]]への影響は顕著だった。例えば、
18行目:
*[[大日本帝国]]も、[[企画院事件]]などで不発に終わったものもあったが、官僚はソ連の計画経済に感化されていた([[日本の経済史 (近現代)#二度の世界大戦|戦前日本の経済]]を参照)。
*[[ナチス・ドイツ]]では、[[私的所有権|私有財産権]]は保護されたものの、[[四カ年計画]]が作成された([[アドルフ・ヒトラー#経済政策|ナチス・ドイツの経済]]を参照)。
*[[イタリア王国]]は、[[第二次世界大戦]]が勃発する1939年まで国有企業の占める割合がソ連に次いで最も高く<ref>Patricia Knight, ''Mussolini and Fascism'', Routledge (UK), ISBN 0-415-27921-6, p. 65</ref>、事実上ソ連の計画経済とほとんど変わらなかった。
 
戦後も[[中華人民共和国]]や[[ベトナム社会主義共和国]]のように社会主義を標榜する国以外でも、[[大韓民国|韓国]]や([[漢江の奇跡|朴正煕政権下の大韓民国の経済]]を参照)、[[マレーシア]]など[[開発独裁]]下の[[東南アジア]]で五カ年計画が採用された。しかし、もともとその運用はソ連や[[東ヨーロッパ|東欧諸国]]に比べて弛緩していたため、皮肉にも経済改革(市場経済化)がスムーズに実行できる要因となった。特に[[中華人民共和国]]では[[毛沢東]]時代から既に経済の分権化が進んでいたと指摘される。