「ライオンお笑いネットワーク」の版間の差分

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== 概要 ==
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内容は[[関西地方]]の演芸場・ホールにて公開録画の寄席演芸番組。[[夢路いとし]]・[[喜味こいし]]、[[中田ダイマル・ラケット]]、[[暁伸・ミスハワイ]]、[[海原千里・万里]]、[[桂米朝 (3代目)|桂米朝]]、[[桂文珍]]、[[笑福亭仁鶴 (3代目)|笑福亭仁鶴]]、[[笑福亭鶴光]]といった[[上方漫才]]・[[上方落語]]をメインにした内容で、平日の昼の時間、ゆったり・のんびりと楽しめる寄席演芸番組として、主に[[主婦]]層や年配者層をターゲットにしてのオンエアを展開してきた。ちなみに、この番組は『[[笑点]]』の関西版と言った感じであるとともに、[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]『[[お茶の間寄席]]』や、[[朝日放送]]・[[Japan News Network|TBS系列]](当時)『[[シャボン玉寄席]]』の読売テレビ版でもある(しかも『お茶の間』『シャボン玉』と当番組はいずれも化粧石鹸メーカー)。なお、番組はTBS系列『[[ケンちゃんシリーズ]]』、フジテレビ系列『[[ライオン奥様劇場]]』と同じ[[オープニングキャッチ]]が流れており、ちょうど裏番組である『奥様劇場』と被っていた。
 
この番組を放送するまでの読売テレビは[[千日劇場]]と関係が深く、当時人気のあった道頓堀[[角座]]は朝日放送が、[[うめだ花月]]は毎日放送が押さえていた。ゆえに[[松竹芸能]]や[[吉本興業]]所属の芸人も両局に出る機会が多く、千日劇場もまた関西テレビとの相乗りであったことで、読売テレビの上方お笑い番組は[[藤山寛美]]や[[大村崑]]などを主役に据えた自社制作喜劇を中心に凌いでいた。やがて千日劇場自体が凋落して1969年に閉館の憂き目にあうことで、読売テレビは演芸番組制作に対する姿勢を見直し、松竹・吉本両プロダクションに食い込んで、両社の芸人を中心にブッキングした貸しホールでの収録番組に注力することに切り替えた。それまでの読売テレビの演芸番組は東京・日本テレビからの『笑点』、『お笑いカラー寄席』、『夜の笑待席』、『[[東宝名人会]]中継』など東京演芸ばかりであったのが、この番組の登場でようやく自前の上方演芸番組を持つことが出来るようになった。
 
== 放映期間 ==