「ブルーノ・タウト」の版間の差分

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== 人物・来歴 ==
ケーニヒスベルクの建築学校を卒業後、[[ベルリン]]のブルーノ・メーリンク、[[シュトゥットガルト]]のテオドール・フィッシャーの設計事務所勤務を経て、[[1909年]]、ベルリンで建築設計事務所開業。[[1910年]]、[[ドイツ工作連盟]]に参加。[[ライプツィヒ]]国際建築博覧会での「鉄の記念塔」、[[1914年]]のドイツ工作連盟[[ケルン]]展での「ガラス・パヴィリオン(グラスハウス)」は表現主義の代表的な作品とされる。また[[1919年]]に、[[アルプス山脈|アルプス]]山中にクリスタルの建築を建てようとするユートピア構想『アルプス建築』や『宇宙建築師』(Der Weltbaumeister)を描いた。
 
[[1924年]]から携わったブリッツの[[ジードルンク]](住宅団地)で国際的な評価を受けた。1924年から[[1931年]]の8年間で12000軒の住宅建築に関わった。[[1930年]]、ベルリンにあるシャルロッテンブルク工科大学(現:[[ベルリン工科大学]])の教授に就任。
 
革命への憧れをもっていたタウトは、[[1932年]]から[[1933年]]まで[[ソビエト連邦|ソ連]]で活動するが、建築界の硬直性に直面し、結局ドイツに帰国する。ところが、その直前にドイツでは[[ナチス]]が政権を掌握。親ソ連派の「文化[[ボルシェヴィキ]]主義者」という烙印を押されたタウトは職と地位を奪われ、ドイツに戻ってわずか二週間後に[[スイス]]に移動、その後日本インターナショナル建築会からの招待を機に1933年5月、日本を訪れ、そのまま[[亡命]]した。
 
来日当初は京都[[大丸]]当主の[[下村正太郎]]邸に滞在し、まもなく[[仙台]]の[[商工省]]工芸指導所(現在の[[産業技術総合研究所]]の前身の1つ)に着任。その後は[[井上房一郎]]の招きにより、[[高崎市|高崎]]に移り、約2年間を高崎で過ごした。[[群馬県]]工業試験場高崎分場に着任し、家具、[[竹]]、[[和紙]]、[[漆器]]など日本の素材を生かし、モダンな作品を発表。[[1935年]]に東京・[[銀座]]に開店した「ミラテス」で販売を始めた。また東京・[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]の[[丸善]]本店および[[大阪]]の大丸にて「ブルーノ・タウト氏指導小工芸品展覧会」を開催した。日本では建築方面の仕事に、余り恵まれなかったことを少なからず不満に思っていたが、その一方で建築理論の構築に勤しみ、[[桂離宮]]を評価した著書を著したり、[[熱海]]の日向利兵衛別邸でインテリアデザインを行った。
 
[[1936年]]に近代化を目指していた[[トルコ]]のイスタンブル芸術アカデミーからの招請により、教授として[[イスタンブル]]に移住。アンカラ大学文学部など教育機関の設計、そしてイスタンブル郊外の自宅など、日本で温めていた理論を実践すべく精力的に建築設計で活躍した(そのほとんどは現存している)。1938年に長年患っていた[[気管支喘息]]のため死去した。最後の仕事は彼自身の死の直前に死去した大統領[[ケマル・アタテュルク]]の祭壇だった。タウトの遺体はエディルネ門墓地に葬られた<ref>[http://www.serere.jp/taut/rikai.html ブルーノタウトの会 タウト理解のために~高弟・水原徳言]</ref>。
 
== 著書 ==
*篠田英雄訳 『建築藝術論』 [[岩波書店]]、数度重版
*篠田英雄訳 『画帖 [[桂離宮]]』 岩波書店 帙入り限定復刻(1981年、2004年)
*篠田英雄訳 『日本 タウトの日記 [[1933年]]-[[1936年]]』(岩波書店全3巻、旧版全5巻)  
*森儁郎〔トシオ〕訳 『日本文化私観 ヨーロッパ人の眼で見た』 [[講談社学術文庫]]
*森儁郎〔トシオ〕訳 『ニッポン ヨーロッパ人の眼で見た』 講談社学術文庫  
== 日本との関係 ==
* [[桂離宮]]と[[日光東照宮]]を対比させ、前者に日本の伝統美を見出し、『ニッポン』『日本美の再発見』などを著した。[[数寄屋造り]]の中に[[モダニズム建築]]に通じる近代性があることを評価し、日本人建築家に伝統と近代という問題について大きな影響を与えた。
* 日向別邸は熱海市に寄贈され、[[2005年]]から一般公開、[[2006年]]「旧日向家熱海別邸地下室」が重要文化財に指定された。日向別邸はもともと[[渡辺仁]]が設計した海を望む和風住宅であったが、地下室部分のインテリアがタウトに依頼された。
* [[高崎市]]の[[少林山達磨寺]]にはブルーノ・タウトが暮らした住居(洗心亭)が残っている<ref>[http://www.daruma.or.jp/02g_01facility_8sensintei.html 少林山達磨寺公式サイト 施設のご案内 洗心亭]</ref>。
* [[渋谷駅]]前で[[忠犬ハチ公]]を見かけた折、存命中に銅像まで建ったその逸話に感嘆しつつも、自身が残した実績と裏腹に母国では社会的に抹殺された身であることを嘆いている。
* [[群馬県]][[高崎市]]の[[創造学園大学]]内にブルーノ・タウト資料館が、[[2004年]]4月より設置され常設展示を行い、また「ブルーノ・タウト賞」を設けた(4回まで)が、経営母体である[[堀越学園]]の経営悪化により、[[2010年]]8月に資料館は閉館され、展示品は[[岩波書店]]に返却された。
 
== 脚注 ==
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