「マクデブルク」の版間の差分

m (r2.7.1) (ロボットによる 追加: hi:मागदेबुर्ग)
[[ファイル:Magdeburg um 1900.jpg|thumb|250px|1900年のマクデブルク]]
マクデブルクは、東方の[[スラヴ人]]と戦う際の要衝として重要な役割を果たした。
[[805年]]、[[カール大帝]]時代の文書に初めてこの名があらわれる。
[[神聖ローマ帝国]]初代皇帝[[オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー1世]]が即位前に過ごした街としても知られる。かつてその宮殿が在った場所には、ドイツ最初の[[ゴシック建築]]と言われる聖マウリトス大聖堂が立っており、オットー大帝とその妻エドギタの棺が安置されている。
[[968年]]に大帝によって司教座が置かれ、以後、[[大司教]]の保護の下で大いに栄えることになる。後には[[ハンザ同盟]]の一員となった。
[[1301年]]、ツンフト(同職[[ギルド]])が市政参加を求めて蜂起したが失敗、首謀者が処刑された。
[[1524年]]、[[宗教改革]]に際しルター派に転じる。
[[マクデブルク大学]]は初めて創設されたルター派の[[大学]]である。
[[三十年戦争]]で打撃を受け([[マクデブルクの戦い]])、市長[[オットー・フォン・ゲーリケ]]が復興に力を尽くした。
匿名利用者