「ボヘミアガラス」の版間の差分

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チェコにおけるガラス産業は、[[9世紀]]頃に[[モラヴィア]](チェコ北東部)・[[ボヘミア]](チェコ西部)・[[シレジア]](チェコ北東部)の[[モラヴィア帝国]]で装身具の材料としてガラスが使われたのが始まりとされる。
 
その後そのガラス製造技術はモラヴィア帝国滅亡後に築かれた[[ボヘミア王国]]へと受け継がれていき、この頃ボヘミアガラスは[[ステンドグラス]]やガラス器などにも使用されるようになった。
 
そのボヘミア王国も[[1306年]]に滅ぼされてボヘミアは[[神聖ローマ帝国]]傘下に入るが、ボヘミアガラスは発展を続けた。[[14世紀]]に入り神聖ローマ皇帝[[カール4世]](ボヘミア王としてはカレル1世)は[[プラハ]]に遷都、プラハは中部ヨーロッパの文化の中心となった。14世紀前半には数箇所だったガラス窯は、も約半世紀後の14世紀後半には20箇所に増加したという。
 
[[17世紀]]前半、[[プラハ]]の宝石カッティング職人キャスパー・レーマン(Caspar Lehmann)が[[]][[青銅|ブロンズ]]製の回転[[砥石]]で宝石をカットする技術をガラスに適用することを思いつき(グラヴィール彫刻の始まり)、それ以降、[[バロック]]様式の装飾的なガラス細工が世に知られるようになった。[[17世紀]]後半には[[ソーダ灰]]の代わりに木灰を使う[[カリガラス]]が開発された。こうしてカットとグラヴィールというボヘミアガラスの特徴が確立した。ただし現在では(鉛)[[クリスタルガラス]]も用いられることがある。
 
[[18世紀]]中頃から[[19世紀]]前半にかけて、戦争と保護完全、さらに鉛[[クリスタルガラス]]の広がりなどによってボヘミアガラスは一途衰退した。しかし[[フリードリッヒ・エーゲルマン]]は斬新なデザインの作品を発表したほか技術的にも新たなものを開発、ボヘミアガラスを回生させたと評価されている。
 
== 技法・模様 ==
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